続々「自分が〇〇と感じて撮った写真」と「観た人が〇〇と感じる写真」は違う

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続々「自分が〇〇と感じて撮った写真」と「観た人が〇〇と感じる写真」は違う

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前回までは、自分が、観た人に〇〇感じて欲しいと思って撮った写真」が「観た人が〇〇と感じる写真」とは限らないというお話をしました。

続・「自分が〇〇と感じて撮った写真」と「観た人が〇〇と感じる写真」は違う

今回は、これまでのお話と矛盾するようにも見えますが、

「撮影者の意図と一致することが、観る側にとってのゴールとは限らない」

というお話をします。

撮影者と鑑賞者の関係性

また、リンゴの例えをしてみます。写真にリンゴが写っているとしましょう。
撮った方が単に「リンゴの赤さ」を意図して撮影した写真から、観た人が

「リンゴの艶感から甘酸っぱい香りを思い出して、若き日に上京するために乗った3等客車でまだ貧しかった自分が駅売りのお弁当を買えずに空腹で座っていたら向かいの恐らくは行商に向かうであろうお婆ちゃんに今まで見たこともないような艶っぽく赤いリンゴを分けてもらい、齧ったときに思わず涙が出たけれども見られるのが恥ずかしくて窓の外をずっとみてたっけな」

というエピソードを思い出してじんわりしている場合、果たしてこれは的外れな写真の鑑賞なのか。

…これについては、私はそうではない、それも立派な鑑賞であり、むしろ撮る側の意図を離れて写真がきちんと美術的な鑑賞の装置として機能したのだ、というように考えています。少し思い込み激しそうな意見じゃないか云々、というお話はありますが、それは一旦横に置いておきます。

写真と撮る人と写真を観る人の間の関係は、いわば戦い、問答のようなものと言えると思います。写真を撮って出す側は、観る人のなかでどんな素敵な〇〇を生成してくれるか、そのためのきっかけを写真の中に埋め込み、練りこんで、私はいっぱいの魅力を写真に仕込んだぞ、さあ読み出してみろ、味わうが良い!となる。

いっぽう、写真を観る側は、さあこの写真の中にはどれだけの鑑賞を引き出すことが出来るだろうか、どれだけのものを引き出して、深めて、広げて、味わうことが出来るのだろうか。そういう楽しみというか挑みを抱いて、写真に立ち向かう、そういう見方もあるのかなと思います。

どっちが勝つかはわかりません。撮る方は撮る方で全力を尽くせば良いし、観る方は観る方で全力を尽くせば良いのだと考えています。

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鑑賞者ごとに異なる写真の見方

…ぶっちゃけた話、実際は、だいたいの場合、自分の撮った写真をすみずみまでちゃんと見てくれる人というのはあまりいらっしゃいません。しかも、目の前にはたくさんのあふれんばかりの写真が、怒涛のようにタイムライン上を流れています。

たとえば、インスタの写真で流れてくる一枚一枚を、食い入るように舐め回すように長いこと観る、っていうことは、あんまりないんじゃないかなと思います。観てるよって人はごめんなさい。「ちゃんと観る」っていう行為はかなりしんどいものです。

写真関係のお話の場合、観る人というのはお客様側に位置することが多い為に、あんまりおおっぴらにお話されることはありません。が、あえて考えてみるならば、観る人の側にも一定のスキルが要求される局面はあるのだと思います。

大抵は、撮った方はその写真について、いろいろ考えたり感想を持ったりして写真を撮ることが多いでしょうから、どちらかというと全力投球になりがちでしょう。

さっきのインスタ云々の話あたりだと、投げられた球が全力投球だったとしても、その豪速球っぷりに応える骨のある鑑賞のされ方は、実はなかなかされないのかなと、そう思うことが多いです。

撮った方はバッターボックスに立ってもらってるつもりだったのに、観る方はテレビ観戦のつもり、良くても外野席でビール飲みながら観戦しているつもりで、なんだよこっちに向かってそんな速いボール投げられても打てないよ、そんな準備してないよ、だったりするものです。

そうなると、よく個人の写真展とかグループ展でみられる、聞く気満々でお客さんに「どっすか?」って写真の感想を聞いても反応が鈍いというか、あんまり返ってこないよ、あれれ、という事態が発生します。

言ってみれば観る方は味見とかつまみ食い的な感じですから、そんなちゃんとしたレスポンスは期待しないほうが良いのかもしれません。

ですが、その逆、観る側が本気で掘り込みにかかった場合、鑑賞者のスキルによっては、撮った本人よりも広く、深い鑑賞を行って、写真を味わい尽くすことだって、あり得るのです。

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写真を味わい尽くすのだ

何が正解か、我々はどうあるべきかというお話ではないと、改めて断りを入れておきます。

その上で、写真を撮る私の個人的な目標として、提示される写真に対して可能なかぎり味わい尽くすように向き合いたいし、自分の提示する写真は、そのような鑑賞に堪えられるものを出して行きたいという、いち意見をここで提示しておきます。

自分はどうありたいか、どう取り組みたいかを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

それでは。

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