タンノトール(@tang40)です。暑い暑いと弱音を吐きつつ日光浴が大好きです、マゾか。陽にあたり過ぎて疲れ溜まってます。先月あたりのんびりし過ぎた感があったりして、さらにちょっと呑み過ぎじゃないか、とかオトナとしてどうなんだろう… などと思ったりもしたので今月はけっこう働いてます。要するに薄暗い部屋に籠ってゴソゴソやってる訳ですね。
やっぱりSIGMA sd Quattro Hが良い理由と、自分の写真を変える為に必要なこと。
最近よく見るデータ
レタッチのお仕事をさせて頂いておりますと、本当に色々なカメラのデータを見られます。
まあなんというか役得です。
なにしろ上手いフォトグラファーさんが撮ってディレクターさんやらクライアントさんやら、とにかくいろんな立場の見る目のある方達が「選んだ」写真をExif付きでガン見できるんですからめちゃくちゃ勉強になります。
個人的な狭い観測範囲の中でのことですが、先月はCanon EOS 5D Mark IIIとCanon EOS 5Dsのデータがほとんどでした。
Canon EOS 5Dsはここ数ヶ月急増中。やっぱり使いやすいんでしょうね、高画素機ならでは精細さはローパスありでも充分に感じられてポートレートにはCanon EOS 5Ds Rより好印象です。
LEICA M (TYPE 240)の写り
そういえば先日LEICA M (TYPE 240)で撮影されたアーティスト写真をお預かりしましたが、LEICA M (TYPE 240)のデータ、初めて見たので仔細に拝見致しましたが本当に素敵な写りでした。
この仕事、スケジュールが結構細かいものですから締切が近くなると自宅から1時間以内に帰れるところまでしかお出かけできません。
いつ来るかわからないメールで長くても6時間以内には対応→決着をつけなくてはならないのがこの手のお仕事の常ですが、何事もなく校了することも多いので一時間以内に作業を始められる範囲であれば、自由な時間を過ごすことができます。
SIGMA sd Quattro Hの独特な描写
そんな時にSIGMA sd Quattro Hがとても楽しい。
APS-Hという稀なフォーマットにFoveonセンサーという独特な描写は一年中様々な“画像”を見ている眼にはとても新鮮で、うまく撮れていても失敗していても良い刺激になります。
Foveonセンサーの気に入っているところに「水」などの透過する被写体の描写があるのですが、花びらみたいにうっすらと透ける被写体もなかなか良い感じです。
近所に散在する花壇くらいしか撮っていないのですが…偽色が出ないだけでずいぶんスッキリするものですね。
Foveonセンサーの画像を拡大すると、(意外にも)まるで絵の具で描いたようなベタッとした描写を見ることができます。
このベタッとした描写が適正な大きさ、等倍〜3倍くらいの大きさで見ると美しい透明感、立体感のある写真に見えます。
普段見慣れているベイヤーセンサーのピクセルのドット感(?)とは明らかに異質で、不思議な驚きを感じています。

35mm 1/2000秒 f2.0 ISO 100

24mm 1/1250秒 f2.0 ISO 100

35mm 1/1000秒 f4.0 ISO 100
何が必要かを知る事の大変さ
こうして日々、何か自分にとっての新しい体験を意識することができるのは喜ばしいことです。
写真界隈では次々と新しい技術が産まれ、検証されていますが好奇心をそそるものもあれば、なんのことやらサッパリ???なものも…。
自分にとって必要な技術を見極めることは容易ではありません。つーか無理。
見極める=習得する、までは言いませんが、何が必要かを知るためにはそれなりの知見が要りますので、散々苦労して身につけた技術がほとんど使う機会がないなんてことはよくあります。
それはけっして無駄ではない…とはいえ時間は有限、おじさんともなると残りの寿命を測りつつ可能な限り効果的に自分を鍛えたいと思う次第でございます。
自分の写真を変える/より良い方向へ
自分の写真を変える/より良い方向へ進むために何をすればいいのかなぁと。
レンズを買うとか、三脚を買うとか、撮影旅行に行くとか、そういうのもあるのですが僕にとって今一番必要なのは「時間」。
色々と覚えたいテクニックや理論があって少しまとまった時間が欲しいな、というわけで仕事のやりかた/日常生活を組み立て直しています。急がば回れって言いますでしょ?
たまにあるんです、積み重ねたものを崩して一から作り直すことでクリーンにすることが効果的、かつ効率的なタイミング。
日々の積み重ねよりも抜本的に学習のやり直しが必要な時期が。
自己という環境
OSをクリーンインストールしたり、機材を一新したりするのと一緒。経験は必ずしも良いことばかりではない。
それに縛られたり無意識に拘ったり、あるいは頼ってしまうことは悪い意味での「老い」を受け入れてしまうことに他ならない。
“同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という。”とはアインシュタインの言葉ですが同じような状況であっても常に異なる思考をもって行う、同じ手法を用いたとしても異なる判断を下す、そういったことを意識することで自分の経験に対して批判的な態度をとり続け“自己という環境”を変化させ続ける。
“いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。”だそうなので、経験とか慣れってワードは僕にとっては危険信号。
あ、でもアレ。脳の容量が足りないだけかも…。新しいこと覚えるのに今ある記憶を消さないとっていう個人的事情。お恥ずかしい…。
おまけ
ヒトコトTIPS
このところクライアントワークはコンポジット、合成という作業が中心になっております。
写真とか動画とかCGとか、出処の異なる素材から一つのビジュアルをつくるお仕事。
Adobe RGB、Japan Color Coated 2001(CMYK)、REC.709、sRGBとか。とにかくプロファイルも解像度もバラバラな素材を求められる条件に応じてアウトプットします。
レンズの歪みについて
必ずしもレンズやカメラを通した素材ばかりではなくイラストやロゴ、CGなども絡んでくると、どの工程で使われるかによって適切な仕様に仕上げる必要が出てきますが、まあとりあえず規格のところは置いといて(このあたりのお話はヒトコトでまとまらないから…)なにをしているかというと、写真素材のレンズの歪みを直します。
かえって不自然になっても構わず直します。なんでか?それは全部の素材/要素を合成したのちに仕上げとして統合画像にレンズ効果(歪み、周辺光量など)を施すから。
というわけで歪んだものにさらに別の歪みをかけるともれなく破綻しますのでとりあえず歪みはとります。
ここまで来て勘のいい方はお気づきだと思いますが、この手の合成素材というのは“画像のはじっこは使えません”。
よく「もう一歩寄れ」みたいな良い写真の心得を聞きますが、合成素材撮影の際は逆。天地左右20%は使えないものと考えて二歩でも三歩でも引いていただけると大変助かりますので何卒。
絞りについて
あ、あと絞って(懇願)。被写体全域にピントあってるのマスト。こんな感じ。

25mm 1/200秒 f5.0 ISO200 model:Shimon Sumire
被写界深度の中に被写体が収まってるというのは絶対条件です。
よくあるのが顔にピントは合っているけど後頭部の髪の毛がアウトオブフォーカスっていう写真、それ合成素材としてはアウト。
…なんですけど案外難しいんですよね。
特定の場所にピントを合わせるっていうのは大抵できるんですが、被写体の一番手前から80cm奥まで、とか「ここから奥に向かって〇〇cm」みたいなオーダーだとハードル高くなりますよね。
練習しなきゃ♪