センスとテクニックはシーソーゲーム?良い写真ってなんだろう

出落ち。タイトルで言い切った感あるなー。
こんにちは、Toru TANNO @tang40です。座右の銘は「お気楽 極楽 」です。
まぁそういうことなんです。

写真についての評価要素、唯一絶対の正解って? そんなものはない。
なぜないかといえば一つには「写真」って括りが雑すぎるから。
カメラで撮ったものは全部「写真」。フォノグラムやレントゲン、その他もろもろカメラを使ってなくても「写真」。
文芸でいえば「文字で書かれたもの」、俳句も小説も百科事典もちょっとしたメモも随筆も批評も技術文書も全部一括りにして「写真とは」を語ろうとしてるから。
そのうち充分な批評と分析の土壌ができたら「写真という概念」を横断する概念定義も議論されるべきだとは思うけれど、とりあえず百年早い。写真はその発明から二百年にも満たない若い、そして瑞々しい表現形態、メディウムなのだから焦って結論に飛びつかず個々と全体について考察を重ね、問いを発し続けて土壌をつくっていけば良いのではないでしょうか。

で、正解がないのに「落としどころ」は決めなきゃなんない。「いい写真」とか。
こういうのはプロ(依頼仕事)の方が遥かに簡単。求められるものがあるから。
求められるものを完全に満たした上で「その上」を提示するっていうシンプルな原則さえクリアできればいい。
(それが一番むずかしーじゃねーか!! というの声が聞こえるけど… 生業にしちゃったらもう腹くくるしかないもの。悩むところじゃない。)

作品(プライベートワーク)だとここから考えないととっちらかっちゃうから少々厄介。まあそれが醍醐味なんだけど。
正解の代わりにいいものがあってそれが「自己満足」。自分が満足できる何かを実現するというのはとても尊い事。
まずは自己満足、そのうえで他者の評価。趣味に走って一点突破。
この場合正解は「自分が満足できる」でプラス「他者の評価」があれば言うことなし。

この「他者の評価」なんだけど「正解」がないわりに無数の「それダメだろ」っていうのがある。
「ピントがどこにあってるのかわからない」「黒潰れ」「白飛び」「バンディング」とか…

そういうのを切り抜けて「自分がいいと思ったものを他人にもいいと感じてもらう」のがテクニック。(経験を分析して経験則を導き出して理論的に裏付けをとってノウハウ化する→さらに汎用性を高めてみんなが使える仕組み(体系化)にしたのがテクニック)
切り抜ける、ではなく「ダメと言われている要素を魅力にひっくり返してしまう」のはセンス。(アレ、ブレ、ボケとかよく聞きますよね?)
どちらが重要とかいう話ではなくてどっちも要る。

付け加えるならセンスと評価される諸要素を解体したり抽象化したりしてテクニック化する(応用可能なノウハウにする)のが学習。
センスとテクニックと学習の無限ループ。うわつらい… 楽しいのか、写真? 楽しいなぁお勉強(笑)

えっと何が言いたいかっていうと、センスで躓いたらテクニックで、テクニックで躓いたらセンスで逃げきっちゃえ!! ってこと。
逃げ道を探す = 学習だからけっして時間の無駄じゃない。

「押してダメなら引いてみな」って昭和の名言をご紹介して締めたいと思います。
そんじゃーね(誰だ)

最終更新日:2021年8月12日
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