今こそ思索の力を/一歩奥へ進む写真を – AI時代に私たちの写真が進むべき道とは –

今こそ思索の力を/一歩奥へ進む写真を – AI時代に私たちの写真が進むべき道とは –

AIブーム時代の写真制作は危機を迎える?

こんにちは、co1(@co1)です。

いま、人工知能、いわゆる「AI」がだんだんとカメラの世界、写真の世界に入ってきて話題になっています。世間では第三次人工知能ブームと呼ばれていて、なんでもかんでもAIに取って代わられるのではないかというお話になっています。

とくに進化が速いスマホの世界では、AI技術を駆使するカメラが、撮った写真がなんでも自動で「良い感じ」にしてくれている!そんな時代になり始めています。

最近のスマホすごいんですよ!ほら!一眼レフと区別がつかない!むしろ一眼より全然良い!

みたいなレビュー記事とかがばんばん出てきている。この流れが進むとみんなスマホで撮るだけで十分になって、カメラマンや写真家はみんな失業するんじゃないか!?みたいな話も出てきはじめました。

新時代への問題意識

時代を変えると噂されるAIがもたらすこの新時代はどうなるのか。
我々が写真を撮っていくにあたって重要なことは何か。

この問題についてはすでにいろんな意見が出てきています。ヒーコでも先日あきりんが「写真の未来」で、

「記録的側面を排除して写真表現をしている人は多かれ少なかれアーティストになっていかなければならない」
「(「なぜ撮っているのか。」を示す)ステートメントというものが、より大切になってくる」

という予想をしていました。個人的には、私はこのあきりんの意見に前半は賛成で、後半にはついてはちょっと違う考え方をしています。

AIが写真の世界を変えるってどういうことか。
そもそもAIが世界を変えるとはどういうことか。
私たちの撮る写真もまた変わっていくのか。

そのあたりについて、少し私の考えをお話できればと思います。

「迷惑メールフィルタ」に勝てなくなる人類

こないだGoogleの囲碁ソフト「AlphaGo」が、人間の囲碁チャンピオンに勝ちましたよね。あれは、ディープラーニングという最近流行の先端技術が使われたAIソフト(正確には、ディープラーニングと強化学習を組み合わせたもの)で、人間のチャンピオンを圧倒する姿に、人類を超えた!みたいに話題となりました。

人工知能だ!ディープラーニングだ!AIがいま世界を変える!みたいなキーワードはよく聞くけれど、でもそれって一体何なの?というのは、知らない人も多いかもしれません。

ということで、まずは「そもそも人工知能っていったいどういうものなのか」をごく簡単に触れておきたいと思います。

そもそも人工知能ってどういうもの?

はじめに用語の説明をすると、人工知能は英語でArtificial Intelligenceといい、この頭文字をとって「AI」と呼ばれます。実用上は「人間の知能を再現して便利に使おう」というくらいの意味に捉えていただければ良いです。

ひとくちに人工知能といっても実際はたくさんのバリエーションがあり、ディープラーニングもそのうちの一つです。特にディープラーニングは性能の高さから今とても話題になっていて、研究も進んでいるアツい手法、と言えるでしょう。

このコラムでは細かい手法の違いは無視して、ぜんぶひっくるめて「AI」と表記しておくことにします。詳しい人にはごめんなさい。

この最近はやりのAI。どういったすごいもの!?というとですね、えっと、ものすごく極端に言うと、原理的には「迷惑メールの自動フィルタ」と同じものです。…や、同じものじゃないんですが、根本の原理的にはそう違いません。専門的には、AIのなかでも「機械学習」という分野のうちの「教師あり学習」と呼ばれるものになります。

ほら、皆さんのメールアプリとかにありますよね。アプリの使い始めに、迷惑メールをぽちぽちとフォルダに入れておくと、しばらくしたらアプリが勝手に迷惑メールを振り分けてくれるやつ。アレです。あれと同じです。あれのすごい版です。

我々人類はあんなものに負けそうになっているのです。迷惑メールフィルタに負ける人類。本当なんでしょうかそれは。

…ということで、ここでちょっと前置きとして、「AIってどういう風につくられるの?」という、人工知能の作り方をまずは簡単に説明しましょう。え?ヒーコだよね?写真の話じゃないの?という意見はあるでしょうが、意外と大事な話なので、このまま進めます。

AIの仕組み~人工知能のつくり方~

例えば、「撮った写真を良い感じにレタッチしてくれるAIを作ろう!」と思ったとします。こういうAIは、通常は次のような作業で製造されます。

    1. 良い感じ度”が分かる写真を用意する
    2. AIに写真と”良い感じ度”の関係を教える
    3. AIは写真のレタッチを始め自己採点をする
    4. AIはレタッチ黄金パターンを手に入れる

どういうことか、順を追って説明しますね。

AIのつくり方

  1. まずは「”良い感じ度”が分かっている写真」をたくさん用意します。

    さあ、のっけから訳のわからないことが言いだされました。「良い感じ度」。なんでしょうね。「良い感じ度」ってなんなんやそれは、それがわかれば苦労せんわ!という「写真の真髄とは!」みたいな話がいきなり出てきます。

    ですが、これを数字で示してやらないとコンピュータにはこの先、手も足も出ません。なので、ここは割り切りましょう。

    AIを作りたい人が「写真の”良い感じ度”とは”良いね数”であり、”アクセス数”である」ということを決めてやります。そしてAIはこの定義を変えることは出来ません。ここ重要です。

    具体的にやる作業としては「写真と、その写真へのいいね数」みたいなデータの準備です。いろんなジャンルのいろんな写真が、たくさんあればあるほど良いです。それを数千とか数万枚とか集めます。今はその気になれば写真SNSを漁ればデータは山ほど手に入ります。便利な時代です。

  2. AIに集めた写真を見せて「この写真はこれくらいの”良い感じ度”」を教える

    データを集めたら、これをひとつずつ順番にAIに見せ、「この写真はXXいいねだよ」「この写真だと△△いいねだよ」と教えていきます。AIは、それぞれの写真に何点くらいつくか、をたくさん教えてもらうことで、だんだんと「こういう写真だとXXいいねくらいに なるのだな」という関係性を覚えていきます。

    そして、AIは膨大な量の写真を見続けることで、見たことのない写真に対しても「これまでの写真鑑賞の経験からこの写真はXXいいねくらい貰えるんじゃないかな」というのを当てることが出来るようになっていきます。鬼の審美眼の完成です。すごいですね。

  3. AIは写真のレタッチを始め、自己採点をする

    審美眼ができたら次は、AIに写真のレタッチを学ばせ始めます。といっても、最初のレタッチは完全なるあてずっぽうです。色を変えてみたり、彩度を調整してみたり、コントラストを調整したり、そういうことをランダムにいじりまくります。すると、当然ながら最初はむちゃくちゃなレタッチ写真がたくさんできあがります。

    この出来上がった、たくさんのレタッチ写真を、AIが自分で片っ端から採点します。AIは 前段階で、審美眼だけは鍛えられてますから、「ああ、このレタッチならXXいいね止まりだな」「このレタッチならXXいいねもらえそう!」というのを、自分で点数付けすることが出来ます。

    AIはこの当てずっぽうレタッチ→鬼の自己採点、というレタッチ千本ノックをひたすらに繰り返します。数かぎりないレタッチのトライアンドエラーを繰り返すことで「こういう調整をするとたくさんいいねがもらえるようになる」という、レタッチの黄金パターンのようなものを、AIは知るようになっていきます。

  4. かくしてAIは黄金パターンを手に入れる

    そして、気の遠くなるような数の写真評価と、レタッチ千本ノックを学んだことによって、AIは鬼の審美眼と、レタッチ黄金パターンを手に入れることになります。

    ここまでくればあとは楽勝。AIが編み出したレタッチ黄金パターンを、人間様がAIの頭の中から取り出して、レタッチ用フィルタとしてまとめてやれば完成です。

    そのフィルタは過去の写真から導かれた「良いね!必勝パターン」ですから、もはや魔法のフィルタ。それに自分の写真をはめこんでやれば、もはや自分の勝利は確約されたも同然です。

AIのやっていることは意外と単純

…いかがでしょうか。じゃあ実際にやってみると、実はいろいろノウハウが必要なところもあってそうすんなりと出来ちゃう訳じゃないんですが、やってることは意外と単純であることが分かるかと思います。

そしてこれって「ものごとの学び」としては非常に正攻法なんですよね。だから、実はものすごく強力な仕組みであって、人間はそう簡単にAIを出し抜いたりはできないであろうことも、理解していただけるかもしれません。

レタッチを例に説明しましたが、もちろんAIが学べるのはレタッチに限った話ではありません。何と何の関係性を学ぶか、を決めてやればAIはなんだって学べます。

極端な話を言えば、

「高性能な360度カメラを搭載したドローンを飛ばして世界中を撮りまくった映像を用意する→”良さげな構図”を探るAIをつくって映像から写真を切り抜く」

みたいなことも出来たりしますから、このままいけば、良さげな写真はぜんぶAIが撮れてしまいそうな気になってきます。

そして、世界はそちらの方向に進むことになるでしょう。

AIは職人芸を無効化する

前章で書いた、鬼の審美眼を持つAIが作り上げた黄金ルール。これは簡単に言うと「集団 としての人間が持つ美意識のルール化」であり、さらにこれが進む先は「”みんな”の美意識にピタリとハマる作品の自動生成化」に他なりません。

これまで「ありがちだけど良いねを押したくなる写真」というのは、もやっとしたノウハウの霧の中に隠れ、言語化がなされませんでした。そのため、その域へ到達するものが限られた一種の職人芸的なものとして生き残っていたと言えましょう。

それがAIの登場によって、これらの写真を簡単に再現し、ボタンひとつで自動的にいくらでも作りあげることができる地点にまで、私たちが一気に到達してしまった。

このことは、写真趣味が本来自由であるべきこと、また自動化の良し悪しはあるよね、という点を横においたとしても、「その写真って人間が撮る必要ある?」という疑問を強く生み出すことに繋がっていきます。

誤解を恐れずに言うと、

いかに美しく整っていても「みんなが良いと思っているからこれを撮る」「こうやると評判がよいからこうやって撮った」などという”周りを目を気にして制作する写真”は、AIによって人間が撮る意味の薄いものへと変えられてしまう。

私はそう考えています。
では、表現としての写真制作に携わらんとした私たちはどうすべきか。

AIの進化と私たちの勝機

前章までの長い長い前置きの中で、ひとつ重要な点がありました。それは何か。

AIに教え込む”良い感じ度”とは何かを決めるのは人である

という点です。人工知能に詳しい方にとっては「教師あり学習の限界」といういつもの観点ではありますが、やはりここに私たちの勝機があります。

すると「じゃあ、AIにとって何が良いかは人が決めるから、AIは意外な写真を産むことはない!だからみんながパッと思いつかないような、意外な写真を撮れば良いんだね♪」

と考える人も出てくるでしょう。しかし先回りすると、今回のコラムはそういう結論ではありません。実はそうはなりません。残念ながら、そのレベルではAIに追いつかれることになるのです。

どういうことか。「”良い感じ度”をいいね数で測るAI」を例に考えてみましょう。

私たちが、タイムラインを流れる写真に対してそれを「いいね」する理由は、実際の所、それほど明確なものではありません。論理的にこれこれこういう筋道があって…とはならない場合も多々あります。

ですから、この「いいね!」について膨大な写真を鬼のように学習したAIが、我々が思いもよらない筋道で「いいね!」に至るやり方を産み出す。そんなことは十分にありえます。

AI囲碁ソフトは、世界チャンピオンとの対決のなかで、これまで数千年にわたる囲碁の歴史において人類が考えもしなかった新しく強力な指し手を次々に繰り出してきました。

「こうやれば囲碁は高得点ですよ」というルールこそ人間が最初にAIに教え込んでいますが、AIは学習を重ねる中でそこから一歩先を進み、人類も知らなかった新たなアプローチを生み出し、突きつけてきたのです。AIが我々に新たなものを提示する、世界はすでにそのレベルまで達しています。

同様に写真においても「AIが我々にとって新鮮な写真を示してきた!新しくてすごく良い!」となる状況は、十分に考えられることです。

ですから、意外なものをただ提示して意表をつく!というアプローチも、AIはすぐに封じてくるでしょう。そう考えるとますます恐ろしく感じられるかもしれません。じゃあなにを撮れば良いのか?

人間は何を撮ればいいのか?

先の疑問を繰り返しましょう。

では、表現としての写真制作に携わらんとした私たちはどうすべきか。

私はこう考えています。 AIではなく人間が撮る写真の在り方として、私が考えている道はおおきくふたつ。

ひとつは、
私たちが撮り、提示する写真が持つ意味を重視すること
そしてもうひとつは、
観賞による審美判断が簡単に一致するようなことを求めない写真を制作すること
鑑賞者による思索を求める写真を制作すること

です。

このことが、私たちがこれから表現としての写真を行う上で進むべき道になるでしょう。

今こそ、一歩奥に進む写真を

先ほどお話しした、AIの作り方をもう一度振り返って考えると、AIは現状ではどれだけ高精度になったとしても「なぜそれを良いとするか」という部分にはそう簡単に踏み込めない、ということが分かるかと思います。

今の段階においても、「なぜ」の部分を取り除き、AIにとって何が良いかを決めてやるのは人の役割です。研究こそ盛んに進んでいますから、未来永劫にわたって「なぜ」に踏み込まないのかという断言は難しいです。が、私個人の予想で言えば、そう易々と踏み込まれはしないと考えています。

AIは良いとされるものを判別し、良いとされるものを生成すら出来るようになりますが、なぜそれが良いかを思索し、提案し、説得することは出来ません。

提示された写真の意味の在り処は、写真の鑑賞による思考のプロセスは、感動への源泉は、あくまで人の手の中に残り続けるのです。ここがキモです。

撮り、提示する写真が持つ意味を重視する

ひとつ目の道、「私たちが撮り、提示する写真が持つ意味を重視すること」は、「なぜ良いとするか」に踏み込めないAIには担えない領域として、人間が、おそらくは人間ならではの制作動機として持ち続ける数少ないもののひとつでしょう。

またこれは、あきりんが先に紹介したコラムで述べた「残っているのはアーティストとしての想像や創造力、またはステートメントでなければならない」という点に強く共感されるものです。

なぜあなたはここでカメラを構えてシャッターを切ったのか。
なぜそのような写真を制作するに至ったのか。

こういった内容が、今後の写真において非常に大きな存在意義を持つことになる。

制作意図を言語化し、それをステートメントとして、写真に添えて示すことも重要ではあります。ですが私は、写真を撮った理由や能書きをつらつらと文字にして示すことだけが解ではないと信じています。

ましてや、写真の周りを何やら難しそうに見える言語で取り囲んではデコレーションし、人々を惑わせてお茶を濁すような安易なアプローチもまた、私たちは断固として拒否しなければならない。

私は、この制作の意図や意味をも、写真という制作物そのもののなかに閉じ込めること、内包することを求めるべきであると考えています。ここはあきりんと考えが異なるかもしれない点です。

制作する写真の中に写真制作の意図や意味を封じ込めること、写真を観た人にそれらを読み取ってもらい、味わってもらうプロセスを大事にすること。

このことこそが、写真を、作品を、AIに渡すことなく人の手に留まり続けさせることを可能にすることでしょう。

人間の領域としての写真

またもうひとつの道、「観賞による判断が簡単に一致することを求めない写真を制作すること」「鑑賞者による思索を求める写真を制作すること」もまた、評価軸を自分では変えられないAIから離れた、「人間の領域」として、私たちが取り組むべき分野だと私は考えています。

観た人によってその意味を変え、あたかも鏡のように機能する写真。
絶賛する者、嫌う者、批判する者が現れては消え、その多数の評価が様々に分かれる写真。

100人の鑑賞者による100通りの解釈や感想が、うまれては消えていく写真。

こういった写真を制作することができれば。もしくはこういった写真制作を目指す苦闘が残せれば。そうすれば、私たちがAIとは異なる道へ、一歩先ではなく、奥へと進むことが出来るのだ、という証拠になるでしょう。

「多様な評価を生む作品を良しとする」と教えられたAIが、その教えに従った写真を生成し、それが狙い通りに多様な評価と議論を呼ぶ。こういったプロセス自体が起こることはあるでしょう。しかし、AIにはこのように、さまざまな評価を産み、写真を軸として回り 続ける鑑賞の大きなプロセス自体を良しとする評価軸を、自発的には持ちません。

何が良いか分からない領域に、制作意図を持って審美眼への提案をする写真。
私たちにさまざまな思索をもとめ、問いかけを有する写真。
単純な鑑賞を拒否し、見る人にいろんな感想を抱かせる写真。

そういったものたちを制作するという行為は、しばらくは私たち人間のみが享受できる分 野であり続けるものと私は考えています。

もちろんこれには、写真を前にした私たちが、AIがすでに手にしたような「すでに定義され決められた評価軸」(つまりこれは「みんなが良いと言っているから」です)に従って、秒で単純な脊髄反射するような「ヌルい鑑賞」は行わない!という決意を持つ場合、という前提がついてしまいますが…

AIの隆盛と写真の転換期

AIの隆盛と写真の転換期は、実は、真に私たちこそが行うべき王道の領域を改めて定義してくれる、そういった良い機会なのかもしれません。

写真を含め、私たちの創作活動のなかで、良いね!で単一に示されてしまうような段階を脱するべきではないか。みんなによってなんとなく築きあげられてきた「良さ」から離れ、惰性や手癖で写真を撮ったり観たりする段階を脱しようではないか、そんなメッセージを送ってくれているのかもしれない、などと考えると、それは斜に構えすぎなのでしょうか。

今こそ、一歩奥に進む写真を。一度こういったことを考えてみるのも、悪くはないと思います。

それでは。

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