写真と文学 | 永遠の脱線 情に棹させば「別のところ」へ

前回の続き

“もともと特別なオンリーワン”としてのあなた

永遠の脱線 情に棹させば「別のところ」へ

閑話休題

ダイナミックレンジのおさらいをしておこう。いやまて、私が説明するより皆さん是非自分でWikiを引いて欲しい、その情報は概ね間違いがない。知ったかぶりをするのは良くないので、こういうことはWikiに任せるのがいい。前回の話もWikiにまかせておけばよかった。だんだん自信がなくなってきた。

昨今、高校生や大学生にとどまらず、企業でも若手ベテラン問わずレポートのWikiからの盗用に頭を悩ませているというが、それもそのはずでWikiは全人類の汎用的知識を網羅していて大変優秀である。
もはやもう、レポートなどという古びた課題など一切廃止してしまって、いっそのことレポートとこれまで呼ばれていた成績等評価基準は、「いかにWikiを上手く使いこなせるか」に切り替えたほうが、実際のところパフォーマンスはアップするのではないかという説さえ、昨今はささやかれる程なのかもしれない。
閑話休題。これぞまさに閑話だ。

18歳の頃の話

ところで、少し私の閑話にまだ暫く付き合って欲しい。18歳の頃の話だ。
私は実はこう見えて地元のそこそこの高校に通っていたというもっぱらの噂がある。
三年生にもなると周りは受験一色。
でも、そういう流れに棹さし、まれに「大学に行かない」という血迷った選択をする阿呆が数人いる。
その一人が私だった。
私の学年で大学に行かないという宣言を当時の教師にしたのは私を含めて三人で、一人はアメリカにヒップホップの修行に行き、一人は探偵事務所に行き、そして私は家を出た。

揺るがない決断

阿呆な選択をした中でも私の選択はもっとも阿呆で、なんでそんな選択をしたのか未だに私自身理由はよくわかっていないのだが、当時18歳になんなんとする私には多分くっきりとした理由がなきにしもあらずといったところだったろうと一応証言はできる。
それなりに強い青年の志を心に抱き、誇り高く在野に下るという、敢えての悪路を選ぶことに些かの矜持を感じていたと認めるのも吝かではない。
もちろん、単純にゲームばっかりしすぎて勉強ができなかったという理由があったかもしれないということは、付帯事項として欄外に記しておく必要もあるかもしれないが、兎にも角にも私は大学には行かないと心に決め、それを9月の三者面談の際に教師と母親を前にして突然宣言し、教師には呆れられ、母親には泣かれ、幾許かの「もっと留意してくれれば翻意するかもしんないよ・・・」と秋波を送ったにも関わらず、すでに十分こじれまくった高2病が万人に知れ渡っていた私を説得することなど不可能だと思っていた教師及び母親は、説得をするなどという労力を割くを潔しとはせず、大学へは行かないという決断は一夜にして、高校内に広まった。

永遠の「脱線」

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。棹をさす場所が悪ければ、人生自体が流される。
私の人生はこのときから徐々に徐々に、永遠の「脱線」の色合いを帯び始めることになる。
いわば本筋を忘れた閑話そのものの人生。
名は体を表すとはよく言うが、「別の所」へと常に行くことを、生まれた時点で運命づけられていたのかもしれない。
ご先祖さまも酷なことをされるものだ。
かくして数ヶ月後、私は程なく「大学生」でもなく、大学を目指す「浪人生」でもなく、ただの「人」となった。
成人さえしていない18歳のことゆえ、私はその時初めて何者でもなくなった。
両親は私のことを半ばあきらめ、私の方も早く家を出たかったので、それまでバイトでためたなけなしの金を持って、死んだあと荒れ放題に放っておかれていた叔父の家に転がり込んだのだ。
18歳の4月。人生初めての一人暮らしだった。

閑話へ続く

話はさらに次回に続く。もう少し私の「閑話」に付き合って欲しい。
いや、ほんとにヒーコに申し訳ない。桶狭間の合戦で討ち取られておくべきだった。

永遠の脱線 情に棹させば「別のところ」へ/次話へ続く

第三話

カメラのファインダーを通じて、果てしなく続くイノセントな世界へ。

Pocket
LINEで送る

0 replies on “写真と文学 | 永遠の脱線 情に棹させば「別のところ」へ”