写真と文学 | “もともと特別なオンリーワン”としてのあなた

“もともと特別なオンリーワン”としてのあなた

鎌状赤血球のある特質

鎌状赤血球という単語をご存知の方がいたら、人生のどこで、どういう経緯でその単語に行き着いたのか聞いてみたいと常々思っている。

私に関して言えば、あれは高校1年生の時、ある春の日の昼下がりの気怠く眠たい教室内でのことだった。
隣にはその後、数年間悪友として付き合うことになるAが座っていて、まだ私とAは友だちにもなっていない時のことだ。
6時間目の授業は、生物だった。

以下、本来書こうと思っていた原稿の大半を、ヒーコのトークイベント中に隣に座っていた浅岡省一さんが桶狭間の合戦のことなどを急に持ち出すものだからすっかり忘れてしまった。
一旦割愛することを了承されたい。思い出したら次の回にでも書き足そうと思う。大事なのは鎌状赤血球であるからして、そこまで話を一気に飛ばしてしまおう。

遺伝病として知られるこの病気が時に話題に上がるのは、この病気の持っているある特質によるものだ。
両親ともに鎌状赤血球の持ち主である場合、その子どもは生きることが困難になるほどの貧血・低酸素を発症する。
ただ、両親の片方だけの場合、時々重たい貧血になるというくらいで、生存そのものには影響を与えない場合が多い。
ここまでの説明は、ドゥユーアンダスタン?そう、鎌状赤血球の持ち主は貧血になる。しかもかなり重篤な。
一見するとこれは遺伝的には極めて不利な状態にあるように見える。

致死的な病気

さて、話が興味深いのはここからだ。
この鎌状赤血球の持ち主はアフリカ地域に多いのだが、アフリカ地域は皆さんご存知の様に、古来から致死的な病気を媒介する蚊が多い地域でもある。
その一番有名な例がマラリアだろう。ハマダラカなどによってマラリア原虫が運ばれることによって人間はマラリアに罹患する。
現在でも毎年50万人が死んでいるマラリアは、歴史上、最も人間を殺してきた病気としても名高い。

なぜ急にマラリアの話などをしているかというと、鎌状赤血球とは切っても切れない関係にあるからだ。
上で、鎌状赤血球を持つ人は重篤な貧血になることを書いたが、一方、人類にとって最大の敵の一つであるこのマラリアに対して、鎌状赤血球を持つ人は極めて高い耐性を持つ。
平たく言えば、鎌状赤血球の持ち主は時に生命を脅かす程の貧血になるが、20世紀に入るまで人類をどったんばったん殺しまくってきたマラリアには罹らない。
私がこの話を知ったのはある昼下がりの午後のことだ。しかしまだ詳細を思い出せない。桶狭間の合戦のせいだ。
まだもう少し鎌状赤血球の話を続けよう。

鎌状赤血球をもたらす遺伝子

人間の遺伝子の優良なものばかりを集めようというのが優生学と言われる学問だ。良いものだけを集めたら世界は良くなる、ハッピーでヤッピーでナチスドイツが大好きだった学問だ。アーリア人種は世界一ィィ!!というあのノリである。
さて、ではこの場合、現在21世紀の最先端をひた走る我々人類は、鎌状赤血球に対してどのような態度をとるべきなのだろう?
優生学的観点から見れば、真っ先に抹殺されてもおかしくない鎌状赤血球をもたらす遺伝子は、人類を最も殺してきた病気に対して高い耐性をその持ち主に与える。
もし、あなたが、1600年代くらいの、まだアレクサンダー・フレミングが抗生物質を発明していないころのアフリカに生まれるとするならば、あなたはどちらの遺伝子を望むだろうか。
もちろん選べるわけはないし、選ぶことができないのが遺伝子なのだが、でも悩むに値する問題でもある。

遺伝子と呼ばれるシステム

そしてそれこそが、遺伝子と呼ばれるシステムの優秀な設計だ。
一見、我々人間の限られた知性では「不利」とか「悪い」とかみなされる状態が、遺伝子のプールの中に保存されて子々孫々伝えられる。
そしてある時その「不利」と思われていたデータが、人類が直面する新たな致死的な病気に対する強力な耐性を発揮することがある。
種として生き残るために、我々多細胞生物は、一見不必要に思える全てのデータを、分散して子々孫々伝える。
種として多様であることが、生物全体としての生存可能性を担保する。だからこそ、小学校の道徳の時間に出てくる陳腐な理想論のように見える「人の命はすべて貴重である」というあのお題目は、生物学的な観点から言えば、100%正しい。

特別なオンリーワン

かつて国民的アイドルが、その栄光の絶頂で歌ったように、「ナンバーワンにならなくてもいいもともと特別なオンリーワン」なのだ。
可能性は極めて低いけれど、我々が体の中に維持している遺伝子のどこかの一つのセクションが、世界を救う配列になっている可能性だってあるのだ。ナンバーワンをオンリーワンに置換し、「小さい花や大きな花、一つとして同じものはない」個々の多様性が愛された時、世界には花が咲き誇ることだろう。
簡潔に言うならば、これこそが多細胞生物が持っているシステムとしての冗長性だ。
システム全体が生き残るために、一見不要に思える情報も維持しておくこと。

そろそろあなたはこう思い始めているはずだ。

「いったい、こいつは、写真とカメラのメディアであるヒーコで何を書いているのだ、と」

あなたは正しい。私も実は、自分が一体何を書いているのか、最初のアイデアを忘れはじめてしまっている。おっと、でも安心して欲しい、思い出した。思い出しナウ。
そう、遺伝子の持つ冗長性と、我々が日々シャッターを切るカメラの持っているある性質とが近似してくる点がある。

ダイナミックレンジだ。

“もともと特別なオンリーワン”としてのあなた/次話へ続く

第二話

永遠の脱線 情に棹させば「別のところ」へ

第三話

カメラのファインダーを通じて、果てしなく続くイノセントな世界へ。

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