「光で遊びつづけた先にあったもの」高井哲朗 × 黒田明臣 対談 | 写真と生きる

前回に引き続き、公益社団法人 日本広告写真家協会(APA)副会長、フォトグラファー高井哲朗氏とヒーコ黒田明臣氏の対談をお送りします。型にはまらない生き方から生まれた広告作品の名作と今尚写真と真摯に向き合い続ける高井氏の現在の活動について伺います。

「光で遊びつづけた先にあったもの」 高井哲朗 × 黒田明臣 対談

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時代の変化と共に訪れた写真の変化

[高井]

ネット時代になって、SNSに写真をあげるのが当たり前になって、最近の子たちはこう、風景とも違うし日常写真とも違うしどちらかというと日常写真に近いんだけど、もっと身近な雰囲気が出てきたよね。アマチュアでもしっかりした写真を撮ろうというところから変わってきているように感じる。

[黒田]

写真を撮ろうと構えてはいないんだけどクオリティはいい写真が増えてきたということですかね?

[高井]

クオリティよりも前の心構えの話で、おそらく写真をある程度撮ろうとか、趣味にしようという人が新しく写真を始める時って、旧来だと、裏で光を見ましょう。構図もしっかりしましょう。タイミングを図りましょう。フレーミングも決めましょう。いわゆる既存のパターンのお手本があった。アマチュア写真家もそのお手本に準じて真似してきた。このパターンが旧来のアナログ時代の写真のパターン。

次に来たデジタルの時代では、写真も、カメラも大きく変わった。全部写るようになった。それからいわゆる普通のセオリーが難しいことじゃなくなり、ただのお手本じゃつまらないので、いくら真似して撮ったとしてもただなぞるだけのただのコピーになってしまう。いままでの概念から、考え直してみたのが鈴木理策さんの新しく展示された写真だった。

理策さんの写真はそういう今までのパターンではない。自分自身の視点ではなくて自分と一緒にいるカメラの視点で写真を撮っている。おそらく写真にしようという目線で撮った写真はもう飽きられてつまらない写真になってしまってるんだよね。

でも理策さんの場合は、絵描きさんにインスパイアされていて、自分の理性が感光版になったように外の空気をありのままに伝えるような、感覚的にそのまま写そうとしている。

[黒田]

感覚的なものを、漠然としたものをそのまま絵にしようということですか?

[高井]

理策さんは絵画でいうと例えば印象派のモネのように具体的な線とかラインとかそういうことじゃなくて、光でもって絵を書いたあの感覚を写真で捉えようとしたんじゃないかな。

[黒田]

なるほど。

[高井]

だから従来のマイケル・ケンナみたいなきちんとした構図。しっかりとした光。ベースにのっとった、いわゆる写真としての技術が表れた写真という流れから、そのまま光を感覚として捉えるようなところに入りつつあって、一般の人もいわゆるカメラの学校やなんかで習った教科書的なやり方ではなくて、本当に感覚的な音楽をやっている人、美術をやっている人が写真界隈に入り込んできているから、そういう人たちの方が割と斬新で新鮮な写真を撮るようになったんだと思う。

[黒田]

それは納得感ありますね。

[高井]

光の感覚的なものを捉えて、変に形を固めないでそのまま捉えてそのままアウトプットしているような写真がバンバン出始めてると感じる。

だから良い、悪いという判断ではなくなってきているんだよね。

[黒田]

何がいいとかではないですよね。

本来、趣味でただなんとなく撮ろうというところから始まっていると、フレーミングとか型にはまる型もわからないから、おそらくやりたいように自分がいいと思うものを突き詰めているんでしょうね。

[高井]

広告でもなんでもないしアプリの写真なんかは割とそうだよね。だってセオリーも何もないわけだから。黒田君がAPAアワードで入賞した水に飛び込む写真なんかはパッと見て感覚的に撮ったんじゃない?

[黒田]

そうですね。

[高井]

その感覚はやっぱりカメラがよくできているからだと思う。昔のアナログ的なカメラではなかなかあんな感じに写らないんだよ。

昔のカメラだったらもっとぶれているし、ああいう日にあそこには持っていかないね。

[黒田]

なるほど。怖いですもんね。

[高井]

大切なものだからね。こういう感覚では使わないかな。

[黒田]

そうですね(笑)

[高井]

今はGoProがあったりどんどん感覚的な世界になっていると感じるね。

[黒田]

カメラがイージーになってきているということですよね。

[高井]

そうそう。

だから液体を人物にかけたりだとか、どろっとしたものを人物の顔にたらして撮るような写真を撮れるようになったわけ。昔はかなりのテクニックがないとできなかった写真だよね。ストロボの光を当てるのをちゃんと計算しながらじゃないと撮れなかった写真が簡単に撮れるようになってきているわけなんだよ。

[黒田]

それ僕の写真のこと言ってますよね(笑)

[高井]

ちょっと感度を上げれば撮れちゃう時代になってる。

昔の話でいうと、撮れるんだけど相当な数のライティングが必要になってくる。

[黒田]

そうですね。20灯とか必要になりますよね。

詩、写真、文字と世界

[高井]

黒田君の写真は奥が深いというかいやらしい感じがするよね。

[黒田]

ちょっとマニアックかもしれないですね。一見、普通ぐらいのシーンに違和感をもたせるのが好きです。どちらかと言うと。ぱっと見てクリエイティブなものもやるんですけど。

[高井]

小説でいうと、例えば『こころ』とか。もうちょっと奥にいくと夢野久作とか。その辺のミステリーとかに入り始めるかんじかな。

[黒田]

全然わかりませんが、好きな小説は戦争と平和です。

[高井]

もっとバタイユあたりまでいくともっとドロドロしているよね。

[黒田]

自分の写真、そんなにドロドロしていますか(笑)

[高井]

痛いんだけど気持ちいいという世界。

[黒田]

ハードル高いですね。

では普段創作されている詩はどうですか?詩はライフワークですか?けっこう好きなんですよね。

[高井]

詩は、自分でわからないから面白いんだと思う。

[黒田]

ああそうなんですか。

最近Facebookとかにも投稿していますけど、普通に年鑑のコメントとかにも詩が書いてあるわけじゃないですか。

[高井]

たぶん、文章でもって「あっ、世界に入り込めるな」と思ったのが高校生の時なんだよね。

[黒田]

なるほど。

[高井]

例えば『赤と黒』みたいな。人生で生きていくには赤と黒、軍人になるか、僧侶になるかというのがあって、それと人間には知性というものと、知性と反対の動物的なところがあるからそれが人間の葛藤だと。そういうところのストーリーがあの本を読んで自分の頭の中にそういう映像が出てくるぐらいのショックがあったんだよ。

[黒田]

なるほど。けっこう『赤と黒』はえげつなさありますもんね。好きですけど。

[高井]

要するにド田舎での高校生活はそんなヨーロッパ的なことなんて知らないはずなのに、そこが膨らんでいくのが言葉の面白さだよね。

それがあって、ずっと写真をやっていたんだけど写真に言葉を入れたりするようになったの。例えば「愛しています」とか「愛」とか入れるとそれだけでろいろな世界が広がるわけでしょ。

[黒田]

写真と言葉はマリアージュがありますよね。どちらも食い合わせが良いもの同士でというか。

[高井]

一言、二言、入れることによって写真のない世界にも飛んでいけるかもしれないって思うんだよね。まだまだ飛んでいってないからね。

[黒田]

なるほど。それはわかります。いまだとSNS的とも言えるかもしれないですね。

[高井]

言葉が持つ力はすごいから。世界が膨らんでいくんだよ。

[黒田]

確かに言葉の力はすごいと思います。むしろ不可欠なところもあるじゃないですか。

でもスタンダールは意外ですね。さっきの童話の話じゃないですけど『赤と黒』は心情世界のさらにその先みたいな印象です。自分の写真には親しい空気を感じますが。

[高井]

知と愛とかね(笑)

[黒田]

はい。不倫だとかどろどろした内容ですよね。

[高井]

そういう作品だとつきものだよね。

[黒田]

栄光と没落みたいな感じあるじゃないですか。しかもちょっとミステリー要素もありますよね。

[高井]

ミステリーと言われると、やはりエドガー・アラン・ポーとかだよね。

[黒田]

そうですね。サスペンスとミステリー。『赤と黒』は文学的な印象でしたが。

[高井]

日本の小説にも土臭いものから大正期から明治の小説とか、意外と面白いものがあるんだよ。僕はいわゆる土着的な世界が嫌でヨーロッパの作品を好んで読んでいたけど。

いろいろヨーロッパ、アメリカの文学を読んで、エドガー・アラン・ポーから江戸川乱歩にいって橘外男、久生十蘭などの日本文学に戻ってきて、ちょっとふらふらしていたらまた違った世界があったわけ。日本には芥川龍之介や夏目漱石みたいな真面目な小説しかないかと思ったらそうじゃなくて、ちょっと変な、秘密の花園じゃないけど怪しい匂いがする小説があるわけなんだよ。

[黒田]

それは確かにわかりますね。芥川龍之介が真面目かどうかはわかりませんが。

[高井]

夏目漱石なんて真面目だよね。

[黒田]

夏目漱石はそうですね。

[高井]

面白くもなんともない教科書的な書き方だと思う。

[黒田]

まあそうですね。ただ、真面目でも宮沢賢治なんかは琴線ダイレクトに触れてきます。

[高井]

なるほどね。

最近、全然本を読んでないんだよ。

[黒田]

自分も読んでもビジネス書とかです(笑)

[高井]

老眼になっちゃってね(笑)

おそらく一番を本を読んていたのは高校生の頃。いわゆる図書百選みたいな本をうろちょろしていて、それから20歳か23歳ぐらいにかけて色々読んだんだけど。

[黒田]

老眼とか考えると、オレもいまのうちに読んでおかないとなって思いますね。

[高井]

トム・ソーヤーの冒険とかも読んだよ。

[黒田]

よく覚えていますね。僕は何も覚えていないもんな。すごいです。

[高井]

無茶苦茶になっているんだよだから。いろいろごっちゃで読んでるから。

[黒田]

頭の中で(笑)

[高井]

『嵐が丘』を読んで、『風と共に去りぬ』も読んでもうめちゃくちゃになっているわけ(笑)

[黒田]

『嵐が丘』はアメリカでしたっけ?『嵐が丘』を書いたのは女性でしたよね。

[高井]

エミリー・ブロンテだね。

[黒田]

そうだと思います。

トルストイとかも長いですよね。1つの物語が7冊とかあるじゃないですか。読むのが大変でした。

[高井]

トルストイのロシアつながりでいうと、『罪と罰』を読んで僕はできている人間だから罪を犯していいと若い時には思ってたな(笑)犯罪を犯したって僕は許されている側の人間だと(笑)

[黒田]

こんなおばさん、殺したっていいと(笑)

[高井]

そうそう、若いときの話だけどね(笑)

[黒田]

あのあたりは面白いですよね。あ、カラマーゾフとかはミステリーじゃないですか。

[高井]

そうだね。あ、『たたみ男』(著:筒井康隆) は知ってる?

[黒田]

知らないですね。

[高井]

朝起きたら顔が畳になっていたっていう話なんだよ。

[黒田]

カフカの『変身』みたいですね。

[高井]

ほぼ同じだね。

[黒田]

いや面白いですね。

詩の話に戻りますけど、このタカシ君というのがお気に入りらしいですね。

[高井]

そう。思い入れかな。タカシ君は同じ小学校に通っていて、なんだかんだ言って卒業してからもいろいろな電話をして連絡をとっているいたりする小学校からの友だち。

[黒田]

へえ。

[高井]

彼の頭の中は小学校からずっと止まったままでね。電話がかかってきたら向こうが喋り続けて電話が切れなくて延々と電話してる。

[黒田]

まだかけてくるんですか?

[高井]

今はもうかかってきたら大変なことになるからかかってこないようにしているけどね(笑)

[黒田]

なるほど(笑)

[高井]

タカシ君からしたら小学生、中学生の時にあれこれやって楽しかった記憶が今も残っているんだと思う。

[黒田]

なるほど。

[高井]

今はずっと単純作業オンリーの作業をしているんだけど、やっぱりつまらないんだろうな。

[黒田]

楽しかった思い出がずっとあるんですね。

[高井]

写真を見たときに、まったく関係ない写真なんだけどふと思い出が出てくる時ってない?

[黒田]

ありますね。

[高井]

そういう記憶が蘇る感覚に近いんだと思う。

[黒田]

音楽とか匂いとかでも思い出したりしますよね。

[高井]

そうだね。

音楽はある意味ずるいと思う。あれはもう引き金がいっぱいあるから音がするだけですぐにいろいろなものが蘇ってくるでしょ。

[黒田]

わかります。

[高井]

「君を愛しているよ」なんて音に合わせて言ったら一発で落ちるよ。

[黒田]

確かにそうですね。

[高井]

ミュージシャンはずるいと思うなぁ。

[黒田]

そうですね。何かと強く紐付いていると聞いた時に思い出しちゃいますよね。

[高井]

今やっているボヘミアン・ラプソディなんかもそうでしょ。

[黒田]

そうですね。観に行ったあとは聴き続けちゃいますし。あと自分は良い映画をみるとそのサントラを延々と聞き続けたりします。

[高井]

いやー、音楽はずるいね。

高井哲朗の写真の歴史

[黒田]

最後に、今更感もありますが写真の話をしましょうか。何度かブックを拝見していますが、作品から仕事から幅広く撮られてますよね。例えばこのKODAKの写真とか、幻想的ですよね。

[高井]

これね、水槽にりんごを浮かべて、色を自分でつくるために試行錯誤したよ。水を透過して光が屈折するから水面の波紋によって光が微妙に変わったりする。

[黒田]

へえ!すごい!フィルムでこれって想像できないですね。多重露光のところが幻想的ですね。

[高井]

当時の方向的には新しかった。色は全部完全に合わせると真っ白になるから。

[黒田]

光の三原色ですね。

[高井]

そうそう。青、グリーン、赤。全部当てると真っ白になる。調整次第様々な色に変わる。黄色になったり、青緑になったり、グリーンになったり。光の三原色を利用してる。

[高井]

こっちの写真はちょうど娘が生まれた時に娘の手形の型を暗室でつくって、そこから針で穴を開けて、光をあてたものだね。そして三原色を利用して、開けた穴から写る光をさらに間引きできるような仕掛けをつくって、間引きしながら何回かやると重なってくるところとそうでないところができるんだよ。だから色が残るところと残らないところができる。

[黒田]

この色がすごいですね。

[高井]

色はコントロールができるから。

[黒田]

バランスがキレイです。

[高井]

これは偶然の妙だね。人間がちゃんと撮る写真と、偶然撮る写真の差だと思うな。偶然が入り込むというのは神の領域というか、そこに面白さがある。水は偶然の要素が入ってくるしね。

[黒田]

そうですね。神の領域というか、ある程度ゆだねるというのも大切なのかなと思ってます。

[高井]

光で印象的なものをつくろうと思って、1年間ずっとそればかりやってるよ。

[黒田]

ほんとに好きなんでしょうね(笑)、というか楽しんでる。

[高井]

これは昔の実績の写真だけど、ある時日本画もやらないといけないなと思って、日本画をやらせてくださいとプレゼンテーションをして、これをだいたい1年間やってた。日本画だとやはり琳派。要するに風神雷神。

[黒田]

これも多重露光というか、合成ですか?

[高井]

うん。まず鯉を買ってきて、いろいろな形で撮って一番いいものだけを残す。で、鯉の上に金箔も貼る。金箔自体も一つのフィルターとして撮っておいて、あとは墨絵は自分で書いてそれも撮ってフィルターにしておいて、最初に撮った白い鯉の上に金箔でつくったフィルターをのせると鯉が金色になるわけ。その写真に墨絵で書いて別撮りしたものと金箔だけで別撮りしたものをマスクするとここが写るんだよ。要するに版画の理論。

[黒田]

なるほど。当時はいまと比べ物にならないくらいの手間がかかるんですね。

[高井]

デジタルだと簡単みたいだけどね。

これもようはブツ撮りで、物なんですけど、物も単なる形ではなくて言葉を発するんだと思ってやってるんだよ。ここに至るまでに物には物の言葉があるんだというものを撮ってきた。要するに商品は商品だけれども物にも物語があるという思想でね。

[黒田]

なるほど。そういう考え方というのははじめて聞きました。新鮮ですね。

[高井]

物が語るように撮るのは難しい。

あとはアーヴィング・ペンとかは越えられないって思ってしまうよね。

[黒田]

うーん、まあ。越える、越えないというよりも「あれだよね」となってしまうんでしょうね。

[高井]

でもニック・ナイトはそれらの作家を超えていると思う。

[黒田]

ニック・ナイトは僕も一番好きです。

[高井]

素晴らしいと思う。あの品の良さはかなわない。

[黒田]

僕は後追いでしか知りませんけど、あの人は写真の時代を変えた感がありますよね。

[高井]

あの人は本当にすごいよ。

[黒田]

最強ですよね。

もうそれなりの年齢だったと思いますけど。

[高井]

もう60いくつだったかと思う。私が最初に見たのはゾクッとするほどの裸の写真。

[黒田]

わかります。

[高井]

色気ではなくて、いやらしさを通り越した色気や生々しさがある一方で品のいい裸の写真だった。

[黒田]

生々しさというのは生感ということですか?

[高井]

生感ではないね。何かそそるような気品のある生々しさというか。あれはすごいなと思った。

[黒田]

自分の道を自分でつくっているところがすごいなと思います。

[高井]

青山で行われた押し花の写真の展示会はよかったみたいだよ。

[黒田]

僕もそれに行きたかったんですよね。

[高井]

発表は20年ぐらい前だけど押し花もきれいだったね。あとはドロドロの写真とかもあるんだけど、そちらはあまりにも計算高すぎてやらしく感じる。

[黒田]

打算的な写真なんですね(笑) うーん、でもニック・ナイトはいいですよね。写真集が出てないのかなと思うんですけどね。

[高井]

写真集はいっぱい出てるよ。

[黒田]

そうなんですね。でも全然手に入らないんですよ。

[高井]

押し花はいろいろ写真集が出てるから見てみるといいよ。最新の写真集よりいいね。これは最新の写真集なんだけど撮るだけが仕事になっているからかつまらないんだよ。一つの絵として存在してないなと思っちゃう。

[黒田]

いや、面白いです。

写真と生きるというテーマでしたが、まさに半生を写真と共に生きている人の、生態含めてお伺いできたので楽しかったです(笑) 自分が写真をはじめてからずっとお付き合いがありますが、こうしてあらたまって聞くのも初めてだったので。

新しい試みを柔軟に取り込む高井先生のこれからの活動と写真業界との関わりが楽しみです。APAでもお世話になっていますが、公私共にこれからもよろしくおねがいします。

本日はありがとうございました。

[高井]

ありがとうございました。

高井写真研究所

高井哲朗 note

高井哲朗 Facebook

プロフィール

高井哲朗

公益社団法人 日本広告写真家協会(APA)副会長
APAアワード 写真作品部門 審査委員長

1978年 フリーとして活動
1986年 (株)高井写真研究所設立。現在広告写真を中心に活動中

受賞歴
1984年 第20回 広告部門 APA賞受賞 (Kodak E-6ポスター)
1987年 第29回 雑誌広告賞受賞(AMEX Gold Card)
第7回 ラハティ ポスタービエンナーレ 第1位(New Basics ポスター)
1988年 第22回 広告部門 APA賞受賞(Uyedaジュエリー雑誌広告)
1989年 第30回 クリオ賞 プリント部門受賞(ハワイアントロピカルポスター)U.S.A
1992年 第35回 The Newyork Festivals Finalist Award (Kodak雑誌広告)
2002年 第30回(社)日本広告写真家協会公募展 APA 奨励賞受賞
2003年 第31回(社)日本広告写真家協会公募展 APA 奨励賞受賞
2007年 第35回(社)日本広告写真家協会公募展 APA 奨励賞受賞

クレジット

制作 出張写真撮影・デザイン制作 ヒーコ http://xico.photo/
カバー写真 黒田明臣
出演 高井哲朗
Biz Life Style Magazine https://www.biz-s.jp/tokyo-kanagawa/topics/topics_cat/artsculture/

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