子どもとの暮らしと写真。目に見えない感情を家族写真で表現する方法。

はじめまして。たしろ ゆり(@yuritashiro1)です。二人の息子の写真を撮る母です。日常的な風景やありふれたシーンの中で息子たちの撮影をしています。

写真、楽しそう、私にもできそうだし。と思ってはじめた写真。

今回は私が、母として子ども達の写真を撮る上で意識している撮り方についてお話ししたいと思います。

子どもとの暮らしと写真。目に見えない感情を家族写真で表現する方法。

「楽しい」だけではない子どもとの暮らしを撮るきっかけ

息子の写真を撮り始めて少し経った頃、ある一通のメッセージが届きました。

新米ママワンオペ育児中なのですが、どうやったら楽しく育児できるのでしょうか。毎日辛くて。

このメッセージを読んだ時、私の中で「私は楽しく育児できているんだろうか?」という純粋な疑問が生まれました。なぜなら私自身、小さな子どもと暮らすということは決して「楽しい」ことだけじゃなかったからです。

子どもの写真は全て幸せそうにみせなくてもいい

何よりも大切で、心から愛しい我が子ですが、特に小さい頃なんて言葉は通じないし、予測不能な行動でひやひやさせられる毎日。大声で泣き出せば涙する息子のことより周りの目が気になるし、人生の中でこんなに大声を出したことはないというくらいに怒りが込み上げて怒鳴る時もあります。

もちろん「楽しい」時もたくさんあるけれど、子どもと向き合う時間は私にとっては「必死」とか「奮闘」という言葉の方がしっくりきます。正解がわからないしゴールも見えず、何を頼りに子どもと向き合っていけばいいのか未だによく分かりません。

そんな中、SNSで子ども想いなお母さんの投稿を見たり、幸せそうな写真を見ると、どうして私はこんなに子どもとうまく向き合えないのだろうかと落ち込むし、息子たちは私がお母さんで貧乏くじを引いてしまったのではないか、とさえ思うのです。

きっとメッセージを送ってくださった人は、私の写真を見て同じように落ち込んでしまったのかもしれません。

今ではたくさんの人が自身の子どもの写真をInstagramやTwitterなどのSNSで投稿する時代になりました。多くの投稿は子どもの笑顔が多かったり愛に溢れた写真が多いと思いますが、投稿された写真だけでは子育ての苦悩や葛藤を想像することは難しいと思います。

見た人が想像できる家族写真の撮り方

誰にでも写真にうつっていない部分のリアルがある、ということをあの時のメッセージがきっかけで考えるようになりました。そしてそのリアルに近い部分を写真で表現できたらいいなと思いました。

例えば、疲れたときに聴きたくなる歌とか、悲しいときにみたくなる映画とか、私の写真が自分の手から離れた時、見てくれた人の人生や感情に寄り添えるような写真になってほしいと意識するようになりました。

それからは、日常風景よりもさらにその手前を撮る、という感覚でカメラを構えるようになり、今の私の写真があります。

客観的に子どもをみるように意識する

親からみたら誰よりも可愛い我が子ですが、そんな我が子を撮る時はできるだけ客観的にみるようにしています。
例えば道端に誰も気に止めない当たり前のようにある石ころや雑草に注目するような感覚です。当たり前にあるものが実は当たり前ではない、今目の前に息子がいることが決して当たり前のことではないという気持ちでいるように意識をしています。

苦しさや寂しさなどの感情を写真で表現する

また、幸せな息子との暮らしを撮るのももちろんいいですが、子どもの無邪気さにふとゾッとするときの感覚や、子どもとの時間が苦しいと感じるとき、いつか自分のもとから離れていってしまうんだろうという寂しさも、私の感情ごと写真に表現したいと思っています。

では具体的にどんなことを意識しているかというと以下のようなことです。

古民家などの建物で撮る

撮影場所は綺麗な景色であったり、整頓されたおしゃれな屋内で撮影をするのではなく、どちらかといえば古く寂しい感じのする場所であったり、古民家や昔ながらの建物を選びます。

子どもの表情をはっきりうつさないように撮る

かわいい我が子を撮るので、表情などをうつしたくなりますが、ここはぐっとこらえて子どもの表情を敢えてはっきりうつさず、余韻を作るようにします。

そうすることで、見る人が「どんな表情をしているんだろう?」「どういうシーンでの一枚なのだろう?」と想像力を膨らますような写真になります。

子ども以外の写真を撮る

子どもとの暮らしを撮る上で、食後のテーブルや、浴槽の水や蜘蛛の巣といった子どもが全くうつっていない写真を撮ることがよくあります。

なぜそんなものを撮るのか、と聞かれると理由を明確に答えるのは難しくて、単純に光が綺麗と思ったものや、目についたものを撮っていますが、そんなに深く考えていない、というのが正直なところです。

ただその時深く考えずにシャッターを押したものが写真になったとき、意味をもったり心を揺さぶられる感覚になるときがあります。
その感覚はちょっとだけ狙っていて、見てくれた人のその時の感情や背景によって見え方が変わる写真になったら嬉しいですし、後付けの理由でも自分の感情が表現できたらラッキーと思って撮っています。

家族が撮る家族写真の魅力

すべてをありのままに撮る必要はない

私が息子たちを撮影しているのは実は全てがリアルな日常風景ではありません。

散歩のついでに撮っているように見えるどこにでもあるような道は、あらかじめ私がここで撮ろうと決めた場所へ行って撮影をすることが多くあります。古い屋内の写真は自宅ではなく、レンタルスペースや祖母の家で撮影をしています。

その理由は前の章で言った通り、子どもとの暮らしの葛藤や苦悩を表現したいと思っているからです。そんな親だからこそ感じる葛藤や苦悩を表現できるのも家族が撮る家族写真の魅力であり、強みだと思います。

日常風景を残すことこそ家族写真の価値であると言う言葉を耳にすることもありますが、私にとって息子との撮影時間はスーパーに買い物に行く時間と同じで暮らしの一部であって、まさにリアルな日常風景です。

またどこからが作り上げられていてどこまでがリアルな日常風景なのか、その境界線が曖昧な方が面白いと思っているし、いいと思うものに説明や分析は必要ないのではないかとも思っています。本当の裏側は私と息子だけの秘密です。

目に見えない感情を家族写真で表現する方法まとめ

子どもの成長の過程を写真で撮りつづける

長男は今年から小学一年生になり、私と離れている時間が増えました。私が手をかさなくても自分で考え、自分の意思で選択し、生活するようになりました。

特に学校に行っている時間の息子がどう過ごしているかはわかりません。きっと私が普段見ている息子とは全く別の息子がそこにいて、私に普段見せている表情だけではない息子の顔があるのではないかと思います。

「子ども」はいずれ成長して「大人」になっていくので、時間が経てば「子ども」の写真は撮れなくなります。

ファインダー越しの息子を注視しながら子どもが子どもじゃなくなる時っていつなんだろう?とよく考えます。時々息子がとても大人びた表情をしたり、何かを悟ったかのような目をするととてもドキッとします。

子どもが子どもじゃなくなるその瞬間に出会えるまで、時々でもいいから写真を撮らせてくれらといいな、と思っています。

個展「ドッペルゲンガー」について

いつか私の写真をたくさんの人に見てもらえたらいいなと思い、個展を目標に写真を撮ってきました。

そして来年一月にNAGOYA ON READINGで初めての個展をひらきます。

こんな情勢ですがぜひ見に来ていただけたら嬉しいです。

個展「ドッペルゲンガー」

子どもを産んで人生ではじめて自分の命よりも大切なものができた
この小さくてか弱いものを守らないといけないという本能のような感覚
まるで自分の細胞の一部ような我が子は私の意思とは全く関係なく動き、私の見る世界とは違う世界をみているなぜそれを口にいれてしまうのか
なぜそんなものに怯えているのか
どうしてそんなことがわからないのか
どうして私のもとから離れていってしまうのか

小さな我が子のみている壮大な世界を探していくと自分の幼き時代が蘇り、そこには小さな私がいたー。

もっと作品を見たい方はこちらから!

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