「写真を糧に生きている人を写真家と呼ぶ」白鳥真太郎 × 黒田明臣 対談 | 写真と生きる

公益社団法人 日本広告写真家協会(APA)会長であり、「広告写真はエンターテイメント」を信条とし、約45年間に渡り広告写真家として活動。現在は写真展「白鳥真太郎 広告写真館」を開催しており写真家としても第一線で活躍している白鳥真太郎氏と、ヒーコの黒田明臣氏の対談をお送りします。

広告写真と作家性から考える写真家の条件とは

日産自動車 PAO ポスター(1988年撮影)

広告写真とSNS

[黒田]

いろいろな会合で皆さんがいる中でお話しすることが多かったですが、こうして白鳥さんとゆっくりお話するのは初めてですね。この機会に、展示の件をはじめ今まで聞いてみたかったことをお伺いできればと思っています。

[白鳥]

はい、今回はよろしくおねがいします。

[黒田]

早速ですが、今でこそ写真を仕事にしていますが、自分はいわゆるフォトグラファーとしてレールを歩んできた人間とは違います。そして、そういう人が少しずつ増えてきているということは、白鳥さんもご存知かと思いますが、最近のクリエイティブや次世代型の写真家さんをどう思いますか?

[白鳥]

うーん、あの僕、SNSはほとんどやらないからわからないんだけども、駅とか毎日歩くと目に入るのはデジタルサイネージだけれど心に残るものは少ない。こちらも移動していて映像も動いているから頭の中に沁みてこない。「おっ!」と思った瞬間にはもう切り替わってる。あれなんであんなになってしまったのだろう。

[黒田]

紙よりローコストで見せられるという良さがありますからね。同様にSNSとかでもタイムラインってすごいスピードで見るから、いかにコンマ何秒でそこに目を留めてもらえるか?みたいな次元にもなってきちゃってるんですよね。

[白鳥]

そうそう、そうするとね「何だこれは?」っていう立ち止まって思考することになってないんだと思うんですよ。それがすごく…。

[黒田]

もったいないという思考ですよね。いいなっていうものにじっくり触れるというよりかは、もう反射行動に近い。「なんか美味しそうだな」「可愛いな」っていう1次反応があって、そこで完結する設計になってるんですよね。じっくり味わうようには誘導されていない。そこに興味のある人が、写真でもなんでも深堀りしていって仕事にしたりということになってるんでしょうけど。しかし、周りの先輩方を見ていると、アーティストとしての個体戦闘能力が高すぎるじゃないですか。ネットネイティブな層というのはコンテンツ消費に関する感覚がちょっと違うと思います。

[白鳥]

なるほどね。でもそれではアートは残らない。

仕事と作家の狭間

西武百貨店 川崎西武 「川崎事件。」 ポスター(1988年撮影)
[黒田]

そういう面で見ると、今の広告業界で活躍している方って多数いらっしゃると思うんですけど、作家活動とプロジェクトを両立されている方は稀有なイメージがありますよね。作家として活動する過程で広告に求められるというケースはよく見ますけど。しかし白鳥さんの写真って、プロジェクトなのにファインアートさを感じますよね。

[白鳥]

それはね、いいアートディレクターと出会えたことがね、すごく大きい。大貫(卓也)くんの言うこと聞いてると、正論だから聞こうみたいになるんですよ。大貫くんは言いたいことは言うけども、でもそうしてるうちにお互いに評価されていったっていういいリアクションだったんですよ。

[黒田]

大貫さんとのコラボレーションはすごく目に付きます。あとは、お仕事でなく、パーソナルワークとして撮影されている写真もすごく作家性が前に出ていたり、どこか海外のような雰囲気を感じます。

[白鳥]

そう。昔にね、偶然被っちゃってるフィルムを博報堂の写真部の人からもらって知らずに撮ったんですよ。それがまあ全部被っていた。その色味が、グリーンに転がったのですごく良かった。これを作品のテーマにしようかなと思って撮り出して。あの当時はね、全てがアンチテーゼだったわけ。フラストレーションの溜まる仕事に対する。

[黒田]

その時は仕事に還元できるものもあったんですか?

[白鳥]

あったあった。

[黒田]

そういう意味では仕事と作品のいい循環になっていたんですね。こういう言い方はあれですけど、もともと作家になろうとかではないんですよね?

[白鳥]

もともとはね、僕は資生堂に最初に入りたかったから助手で雇ってもらって。当時花形だった横須賀(功光)さんみたいになりたかった。でも大貫くんとやることになって変な方向に捻じ曲げられて。そのおかげで今があるんだけど。

技術と才能

凸版印刷 企業広告 新聞(2013年撮影)
[黒田]

ズバッとお聞きしちゃうんですが、自分に才能があるって気付いたタイミングとかあるんですか?

[白鳥]

今でもあると思ってない。僕はね、天才と秀才がいるとしたら秀才の努力型だと思っていて。王さんと長嶋さんみたいなもんで、記録の王さんに対して記憶の長嶋さんは永遠にミスタープロ野球なわけですよ。

僕はそんなに閃いて撮るってよりかは、理詰めで撮っていると思っている。考えるタイプ。

[黒田]

へー意外ですね。なるほど、ライティングとかですかね。
努力っていう話だと、自分の型にはめるというよりかは、何が来ても打ち返そうみたいな気合が感じられて。そこに白鳥さんなりのユニークさが詰め込まれていますよね。その辺りって技術とか努力でどうにかなるものなのでしょうか?

[白鳥]

うーん、技術と努力以外にも世の中の流れとか、広告業界のトレンドとかを見極めていることが大きいかな。意外とインプットが好きですよ。

[黒田]

それは若手の時もそうだったんですか?

[白鳥]

そうだね。僕が博報堂の写真部にいたのが16年間なんだけど、フリーの写真家に頼んだ仕事をADから見せてもらったらちっとも良くない。俺でも撮れるじゃんと思った。

[黒田]

やっぱりあるんですね。

[白鳥]

あえて名前は言わないんだけど。高い金払って何で普通の写真撮らせんだよみたいな。

[黒田]

確かにそういうケースは往々にしてありますよね(笑)

人の中にいること

味の素 企業広告 新聞(2002年撮影)
[白鳥]

でそういう人とかお金の流れを見ているのが、僕が独立したきっかけなんだけど。煽られるんですよ。アートディレクターとかに、 早くフリーになれよ、仕事は有るよって。

[黒田]

会社員時代は、自分が前に出ていこう自分の写真で食っていくぞっていう野心的な感じよりかは…?

[白鳥]

押し出された感じだよね。

でも会社員が楽しかった。安定した給料もありますしね。でもそこで1回は勝負しなきゃってなって。周りの人が後押ししてくれた部分もある。

[黒田]

そこはいろいろ繋がる部分がありますよね。あと白鳥さんは僕が知る限り異常なほどに人望があるじゃないですか。傍目でこの人はいったい何なんだって思ってましたよ。

[白鳥]

喧嘩しないっていうのは1つの主義なんだよね。昔、よく仕事しているヘアメイクさんに「白鳥さんね、そうはいっても1人じゃ写真は撮れないんですよ。いろんな人がいてみんなの力で写真を撮っていくんだから。やっぱりその人たちに感謝の気持ちも含めて接していかないと周りが離れていっちゃうよ」って言われて。

[黒田]

そんな尖っていたんですか!

[白鳥]

自分ではわかんないんだけどね。そんなイライラしてたのかって反省しちゃって。そしたらそのうち、ここでは言えないんだけど、いろいろ助けてあげたり仕事振ってあげる後輩もできて。そういうことに対してすごく恩義を感じてくれて。

[黒田]

すごいですね、感じますよそれは。

[白鳥]

それは見返りを求めずに、男としてこうした方がいいなって思ってしただけの話でね。他の職業でも同じことをしていたと思うし。

[黒田]

やっぱりそこの人間性もそうですけど、何かの反発であったりするんですかね。行動につなげる力というか。白鳥さんの爆発力というか、見えてきますね。

[白鳥]

仕事が広告だからね。まあ、別に自分のお金で自分の作品の展覧会やるならそれでいいけど。広告って目的があるので。お客さんが「今日味噌汁食いたいんだよね」っていうのに「いやあ今日はビーフシチューがおすすめですよ」とは言えない。だから日本1美味しい味噌汁作るにはどうするかっていうと、自分のスキルで全力で作るんですよ。

[黒田]

理詰めの話じゃないですけど、相手の気持ちを汲み取ってあげるみたいな。すごくウェットに、自分ごとのように捉えられていますよね。

情熱のコントロール

日本サッカーリーグ 「格闘技宣言。」 ポスター(1984年撮影)
[白鳥]

うーんまあ、浪花節なんだよね。

[黒田]

生まれはどちらなんですか?

[白鳥]

長野県の松本。

[黒田]

なるほど。松本のことを1ミリも知らないので何も言えませんでしたが、なんかすごく男って感じがしますね。

[白鳥]

そう。すごく映画好きだからね。

[黒田]

なるほど。どの辺を?寅さんとかですか?

[白鳥]

西部劇でも、寅さんでもそうだし、人間として崩しちゃいけない部分と、逆に流していいところとかを学んだ気がするな。1番影響があったのは時代劇かもしれないね。東映の時代劇かな?勧善懲悪だし、正義は勝たなきゃいけないし。

[黒田]

そういう正しいことに対する情熱だったり、熱量だったりが高いってことなんでしょうね。やっぱり普通到達できないところに行くと大変な時期とか悩みとかも人間あると思うんですけど。そこら辺をうまくハンドリングされてないと、才能と技術の両立って難しい気がして。そういうのができている人たちってどういうマインドセットなのかっていうのが気になってしまいますね。

白鳥さんはそういう課題に対して利己的にアーティストとしてやっていくというよりかは、周りの人とか身近な人と共に歩んで行くようなスタイルなのかなと感じました。
少し意外ではありましたが。フォトグラファーとかアーティストの人ってある種、エゴイストじゃなきゃいけないと思っているんですけど、それを感じさせない温和さというか。APAの話でいっても、白鳥さんって会長12年くらいやられてるじゃないですか。すごくないですか。どういう人望なんだっていう。

[白鳥]

というか僕以前の人は2年程度で変わっていったんですよ。それはぶつかり合う個性的な人たちがいて、アンチの人たちお互い同志がひっくり返そうとしていたり。総会なんかがあると紛糾したりして。だから僕が会長になった時は、「喧嘩するのはやめよう」みたいな感じで。最初の2年くらいは少し燻ってたけど。

広告を撮る

岩波書店 広辞苑 ポスター(1998年撮影)

突き詰めた写真

[黒田]

お仕事の経験であったりとかインプットとかってあると思うんですけど、自分の中のクリエイティビティに多面性があるんですかね?

[白鳥]

そうね、ある時は四角いものが好きで、ある時は丸いものが好きで。

[黒田]

いろいろな角度から興味があって、それに対するアウトプットをどれも1級のクオリティにする実力があるのがユニークなんでしょうね。

[白鳥]

今回作品集を企画してくれた玄光社の川本康統括編集長が、そのあたりに興味を持ってくれて、「白鳥さんの仕事はスタイルや作風がものすごく多種多様だから、白鳥さん1人だけで広告写真年鑑みたいな本が作れますよ」ということで本作りが始まって、そうこうするうちに写真展の話も持ち上がったんですよね。

[黒田]

こんなにもスタイルの違う作品を一人の写真家が撮ることができるなんて、とても信じられません。狂ってますね(笑)

僕も写真の世界に入ってまだ日が浅いですけど、はじめたばかりの頃におもしろいからいろいろ撮りたいものを撮ってたら、偉い人にブレてるって言われることがあって。その人が言うには、1つのことを突き詰めたほうがいいという話だったんですけど。それが正しいかどうかはともかく、その人の理論でいえば白鳥さんルールの外側にいますね。

[白鳥]

それはね。これは僕の最初の頃の作品なんだけど、これとこれのトーンが似てるんだよね。

[黒田]

拝見しました。これはフィルムなんですか?

[白鳥]

そう。

[黒田]

いくつぐらいの時の作品なんですか?

[白鳥]

これは30-50代くらいかな。

[黒田]

これは…どういうことなんですか?Photoshopとかじゃない時代じゃないですか。

[白鳥]

これはね、スタジオに塀を作って、下の方にドライアイスを溜め込んで、足元を黒い布で溜め込んで…。イラストっぽいんだよね。SFアートみたいなのが好きな時代があったんですよ。

[黒田]

今でいうデジタルグラフィックみたいな?

[白鳥]

そうそう。これを1発でやったんですよ。

[黒田]

そんなわけあります?

[白鳥]

こういうことやっていて、これが割と仕事の方に使えるなって思うような時代があって、いろいろなスキルが仕事に役立ってきているんだと思っている。

[黒田]

なるほど。それはすごくわかることがありますね。僕が仕事になり始めたのも、いろいろなことをやりたいように好きで撮っていたからでした。写真を仕事で頼まれるようになった時に、これ作品撮りした時のあれを使えるなーみたいな形で生きてくるというか。

[白鳥]

そうそう。僕なんかもね、自分の作品撮りのために、会社員だった時のボーナスは全部作品に使っていいってカミさんに言ってもらって、いろいろな素材とか買ってたんだよね。

選択して集中する

西武百貨店 東京博 「よい世紀末。」 ポスター(1990年撮影)
[黒田]

他の人はどうかわかりませんが、自分みたいなデジタル世代の人間は写真1枚を撮るっていう行為のウェイトが軽いんですよね。1回撮るのにスタジオ借りたりするのがもったいないって感じるというか。この世代の多くは、質より量みたいな発想があるんだと思います。そこはもしかしたらクリエイティブを突き詰める力の弱さみたいなところにもなってしまうのかもしれないですね。この写真をみてると。

[白鳥]

僕はね、本業である写真以外の全てで負けていいと思っているんですよ。友達とやるゲームでもゴルフでも、どんどん負けてくるんだよ。それでもよくて、全て放棄しているんだけど、本業では負けたくない。

[黒田]

選択と集中が半端じゃないんですね。

[白鳥]

それはもう写真部入った時のことだから40年前くらいかな。だからみんなでゲームや何かをやっていても気にしないわけですよ。

[黒田]

その発想に若い時からいくってすごいですね。やっぱ狂気ですよ。

[白鳥]

他にも映画とかの趣味があるんだけど、楽しむことだよね。だけど競争することって結構ストレスにもなるし。そうなると写真だけでいいやってなるんだよね。

[黒田]

すごく健康的な感じがしますね。それで実際写真で圧倒的な結果を出されているわけですし。白鳥さん世代の人たちってみんなそういう気合いを持ち合わせているものなんですかね。

SNS時代フォトグラファー

東京アートディレクターズクラブ 「AIDS(since 1980)」 ポスター(1993年撮影)
[黒田]

僕とかって次世代のフォトグラファーって外から言われることがすごくあって。商業の世界に入るようになってから付き合いが広がってそう認知されるようになりました。今回のお話もそうですし、今年の頭にAPAで開催したCP+セミナーもそうです。

自分は好き勝手やってるだけなので、ずっと写真をやっている方に対するコンプレックスというか、目立つことへの申し訳なさのような気持ちが常にあります。

その一方でこのルートも大切だと思うようになりました。自分以外にもフォトグラファーとかクリエイターがネット文化の発達によって増えて来ていて、キャリアチェンジしていきなりフォトグラファーになる人があらわれたり、キャリアシフトして両立していくような人が出てきたり。そしてそういう道をつくることに貢献出来たらいいなって思ってヒーコも活動をしているんですけど。

会長(白鳥)とかこの道をずっとやっている人からみるとそういう動きはどうなんでしょう?

[白鳥]

難しいんだけど、やっぱりね、スマホで写真が撮れるとかって想像もしていなくてね。ここまでいろんなものが拡大していくとも思わなかったわけ。だからちょっとね自分でも見当がつかないし、今後こうしていけばこういう道が開けるよとも言い切れないんだけど。

ただ確実にカメラマンになりたい人が減ってきてるんですよ。「これは!」っていう仕事ができる人が少ないんだよね。それに比べてクライアントの要求がでかいし。だから広告カメラマンっていろいろな人の言う事を聞かないといけないので、かっこ悪いって思う人が出てくるんですよ。スタジオマンは雑誌のカメラマンになりたいって思う人が多いらしいんですけど、独立したらギャラは広告の10分の1だと気づく。でもマジョリティーは写真だけじゃ食っていけないって考えている人がどんどん増えてきていると思う。

100人のカメラマンに、100人の写真家に

ラフォーレ原宿 Laforet 年間キャンペーン 「NUDE OR LAFORET.」 ポスター(1997年撮影)
[黒田]

でも、そこはいい意味でのバランスというか、まあフルタイムの人が増えはしないけれど100の仕事を10人で回す時代から、100の仕事を100人で回すことがあってもいいかなって思うんですよね。自然の摂理として。フルタイムのフォトグラファーでやっていた人からみると、仕事がなくなるっていうことになるんでしょうけど。ただこういう社会にAPAとして、広告業界として寄り添っていくのかという悩みも出てくるんじゃないかなとは思います。

[白鳥]

僕が会長になってからは、雑誌とかやっている人も入れるようにしている。昔は広告じゃないとダメっていう排他的なところがあったんだけど、写真でお金を稼いでいるならみんな入ればいいんじゃないかって思って。写真というものを自分の糧として稼いで生きている人たちはみんな「写真家」と呼ぶべきなんだよ。だからね、僕は新入会員の審査はね、ほとんど丸つけるの。

[黒田]

そうなんですか。

[白鳥]

レタッチャーだとかCGオペレイター、美術等、映像を創っている人も入れるべきだと思っているんですよ。広告写真っていう枠組みじゃなくてね、いろんなメディアに載る写真全てを撮っている人たちがクリエイターだっていう考え方で。クリエイターっていう言葉の中にはもっと詰まっているはずだからね。

[黒田]

それめちゃくちゃいいですね。

[白鳥]

ただ今はまだそういうことをムーブメントとして作れていなくて。単発で何人かを入れることはできるんだけど。

[黒田]

そうですね、単発でポツンとなってもよくないし、継続的に入る仕組みが欲しいですよね。

[白鳥]

例えばムービーだと、基本一匹狼なんだよね。自分のスタイルは見せないし。広告の人たちが元気良かった頃は懇親会みたいなのでお互いの仕事の話をしながら飲んだりしていたけど。

[黒田]

広告写真に限らずクリエイターとして集まる会を作ることができたらいいですよね。業界として人が減っていることは悲しいことですし、そこに対してリードできるクリエイターの集団がいればいい気がしています。そういうところに今までのキャリアとか写真のクオリティーに限らず、年齢も地域も関係なくコミュニティーができていければいいですよね。年寄りも地方も関係なく。それを是非、白鳥会長の代でできれば。

[白鳥]

いやいや。もうそろそろ(引退)と思ってるんだけど…。

[黒田]

困ります!(笑)

今日はありがとうございました。これまでのこと、現代のこと、未来のこと、いろいろなお話が聞けてよかったです。これからもよろしくお願いします!

プロフィール

白鳥真太郎

白鳥真太郎。長野県松本市生まれ。

国立千葉大学工学部写真工学科卒業後、株式会社資生堂宣伝部写真部、株式会社博報堂写真部(現・株式会社博報堂プロダクツ)を経て、1989年白鳥写真事務所を設立。公益社団法人日本広告写真家協会(APA)会長、公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員、公益社団法人日本写真協会 顧問、一般社団法人日本写真著作権協会 副会長、2018年藍綬褒章を受章。

【主な受賞歴】
ADC制作者賞 / APA賞 / 毎日広告デザイン賞最高賞 / 日経広告賞グランプリ / 読売広告大賞金賞 / 朝日広告賞 / APAアワード経済産業大臣賞 / ACC全日本CMフェスティバル金賞 など多数

【主な写真展】
『白鳥写真館』(1993年・六本木AXISギャラリー) / 『SHINTARO SHIRATORI PHOTOGRAPHIC EXHIBITION』(1994年・ロンドン Smith’s Gallery) / 『貌 KAO 白鳥写真館』(1999年・富士フォトサロン東京、2000年・同 福岡、同 名古屋、同 大阪、同 札幌) / 『Trapped Women』(2009年・イタリア Wave Photogallery) / 『貌・KAOⅡ 白鳥写真館「これから…」』(2016年・和光ホール、2018年・笠間日動美術館 / ミュゼふくおかカメラ館、2019年・しいのき迎賓館) / 『白鳥真太郎 広告写真館』(2019年・キヤノンギャラリー S)

【主な写真集】
『白鳥写真館』(1993年・京都書院)
『貌 KAO 白鳥写真館』(1999年・グラフィック社)
『貌・KAOⅡ 白鳥写真館「これから…」』(2016年・日本経済新聞出版社)
『白鳥真太郎 広告写真館』(2019年・玄光社)

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クレジット

制作 出張写真撮影・デザイン制作 ヒーコ http://xico.photo/
カバー写真 黒田明臣
出演 白鳥真太郎
Biz Life Style Magazine https://www.biz-s.jp/tokyo-kanagawa/topics/topics_cat/artsculture/

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