お疲れ様です。
ゆるふわ女子カメラを代表するあきりん @crypingraphyです。
「理想の写真を撮りたい」
自分も、そんな風に思い描きながら、黙々と研鑽を重ね悩めるフォトグラファーの一人です。
しかし2014年の10月までは、「いつかこんな写真を撮れるようになりたい」と思っていました。
「理想の写真を撮りたい」という思いと、「いつかこんな写真を撮れるようになりたい」という思いには、大きな隔たりがあります。
「いつかこんな写真を撮れるようになりたい」
例えば、
好きなフォトグラファーの写真をみて、「いつかこんな写真を撮れるようになりたい」と呟くとしましょう。
おそらく誰かが親切でこんなことを言うかもしれません。
「それは君の写真じゃないから、君は君が思うように撮れば良い」
もしくは、こんな風に言うかもしれません。
「その人のセンスで出来上がったものだから、撮ろうと思って撮れるものではない」
なるほど。たしかに。
でも違うんだよおぉぉぉぉおぉっぉぉおっぉお
あ、すみません。
しかし本音は、そんなことはわかっているし、単純に気になるから撮りたいんだっていうところじゃないでしょうか。
自分が言いたいのはそんなことではありませんし、言うつもりもないです。
「撮りたい」と思う気持は確かですからね、諦める後押しは求めてなんかいない。
でも、いま自分は「いつかこんな写真を撮れるようになりたい」とは思わないんですね
それは、それがもはや問題ではなくなったからです。
心で理解するというのは、難しいことですよね。
それは多くの人が人生の過程で知っているか、薄々気付いているんじゃないでしょうかと思うんですよ
あんまり良い例じゃないですけど、命あるものはいずれ朽ちると知ってはいても、身近な人間の死に触れてようやくその意味を理解するということは誰しも経験し得ることだと思います。
この「得心」は、自然に得られることもありますし、外的な力によって変えられもします。
結局のところ各々が各々の方で得心する他ないし、そういうものなのですが。
自分の経験談がその外的な力として、一助になればアイアムヒーコ
あなたの予想は、外れているかもしれない。
一つ経験談を紹介します。ある一部の写真を見ながら、「このテイストを何故撮れないのか?」
こんな風に思っていました。自分の場合はおそらくレタッチがその最大の障壁であり、それを学ばないとならないと。
とにかくあらゆる方法でレタッチを学びながら、自分の写真で試しつつ、試行錯誤しつつは絶望を繰り返していました。
「こんなレタッチができるようになりたい。」「どうしたらいいんだろう?」
そんな風に悩みながら過ぎた歳月で、「撮りたい」と思っていた写真を実現する答えは「レタッチ」ではなく「ライティング」でした。
そもそもの予想が間違っていたのです。
PhotoshopでもLightroomでもない。レタッチじゃなかった。
いま思えばもう笑い話ですよ、ただのバカ笑
しかしレタッチの存在や可能性は知っていても、当時未開拓領域だったライティングが答えというのは想像できなかった。
人は知らないことを予想の範囲にいれることができません。
しかし何か未知の可能性があるかもしれないという期待を持つことはできる。
写真をみて、惹かれた理由を正しく理解できているか。
もう一度遠くから確かめてみると見えてくるものがあるかもしれません。
この写真は本文とは関係がありません。ただの美女です。
大切なことは既に知っていた。
もう一つ、経験談です。
2014年の10月に起きたこと
「ありえない色」一言で言うと、それを実現したかった。
海外の写真でみるような、そういう明らかに正気の沙汰とは思えない色合いに惹かれていたんですね。
で、その方法を模索していました。
例のごとくレタッチの方法を調べながら試しては絶望してといういつものルーチンを繰り返していました。
そんな中、日本に帰国してきたオーストラリア人の友人と栃木へドライブに行ったんですね。
そこでなんとなく写真を撮って、いつものごとくなんとなく撮った写真をレタッチの練習素材にしながら試していたところ
突然、できちゃいました。
点がつながる時。
それまでは「オレの知らない、これを実現するテクニックが存在するに違いない」と信じてやってきました。
しかし、実のところ、既に知っているテクニックで、「いつか撮れるようになりたい写真」が実現できたのです。
足りなかったのは、「光」と「背景」そして「モデル」でした。
ずっとできることだった。でも知らないと思っていた。
スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学卒業式辞で「点が線になる」という事を話しましたが
まさにその瞬間が訪れたわけです。
ここでようやく、自分は「心で理解」しました。
長すぎるようで、これ以上はやくはおそらく辿りつけなかったであろうという道のりだったと思います。
「いつか撮れるようになりたい写真」の惹かれた要素を、細分化していけば解決できる課題は必ずあり
もしかしたらその全てが既に解決可能な課題なのかもしれないですよ。
一歩と言わず十歩くらい引いて確かめてみたり、全体がもはや見えないほどに近づいて眺めてみてはどうでしょうか。
そして今自分は、「理想の写真」を探し、近づくための旅路にようやく繰り出すことができていて、ゆるふわ界を浮遊しています。
これも結局は課題解決なのですが、より細かく問題を切り分けて眺めることができています。
ただしこれは決して、絵的な問題だけではないです。
そしてその先にある自分なりの「理想の写真」を探すほうが遥かに難しいですね 🙁
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