こんにちは。荒畑恵子(@keiko_730_)です。ヒーコへの寄稿は初めてになります。
子供たちの写真を撮ることをライフワークとしているママフォトグラファーです。子供たちの成長記録であったり、旅行やイベントなどの思い出を一眼レフで撮影をしています。
今回は、私の作品と合成について書かせていただきます。
合成した写真こそが、私の真実を表現している理由。
合成をする選択をしたきっかけの写真
さて、こちらの1枚ですが、家族で海に行った時の写真です。浜辺で花火をもつのは私の娘で、空にうっすらと浮かんでいるのが天の川になります。
実はこちらは、長女と天の川と写真を合成した写真です。当時、同じ場所から見えていた天の川を露出を変えて撮影し、撮影後に合成して1枚に仕上げました。
この場面にいた時には、三脚などカメラを固定する機材を持っていませんでした。そもそも星の撮影の経験がなかったため、星と人の両方を同時に撮る知識もありませんでした。
それでも天の川と長女を1枚の写真に残したい理由がありました。それは、長女が初めて天の川を肉眼で見た日だったからです。
この日の長女が感動した事をなんとかして形に残したいという強い思いがあり、合成を使って残すことにしました。
どうして合成を選択したのか
見ていた瞬間を形として残すために
カメラで星空を撮影する場合は長時間露光という撮影方法が必要となりますが、特にこの時の天の川は肉眼でも見えるのはうっすらとした程度だったので、撮ろうとすると何秒間もシャッターを開けっぱなしにする必要がありました。
子供を入れようとすれば人の方はぶれてしまい望んだ状態で写真に収めることができないですし、花火とその周辺は真っ白に白飛びしてしまいます。
そして先程も記述したとおり、三脚などの固定する機材も持ち合わせていなかったので手持ちでブレないギリギリのシャッタースピードとなると限界がありました。
なので花火をしている子供と、同じ場所で感度を上げ天の川を別々に撮影し一枚にすることで、1回のシャッターで撮ったものではないけれども、自分なりに今この瞬間目で見ていたことを表現することができたと思っています。
最も注意した点は、撮影後の2枚を合わせる最後の仕上げです。過度に天の川を明確に描写せず、なるべく見たときの印象を忠実に表現しました。
大量の機材を持つことができないからこそ
通常子供との撮影をするときは機材を多く持つことはありません。カメラと最低限のレンズ1、2本になります。
持ち運ぶレンズの本数を少なくすることで、様々な場面でのシャッターチャンスに反応できて動きやすくします。
また母親はデフォルトでも大荷物です。カメラ周りはなるべくコンパクトな荷物であることがベストだと思っています。
少ない装備、少ない撮影時間であっても子供が感動した風景、撮りたかった場面を諦めない方法として合成を用いることができたのは、この写真を通しても自分の中で大きな気づきとなりました。
合成写真で真実を表現できるのか
感動した思い出を忘れないために
ではこの天の川の写真が真実であるかどうか。これは実際にその現場にいた人にしか証明できません。
この天の川はいわば、「こんな風に見えていたよ。」というイメージ写真です。
私はあくまで、この場所のこの天の川を撮ったのではなく、長女がこの場所で天の川を初めて見たという真実と、彼女が初めて肉眼で天の川を見た感動を思い出の形として残しておきたいと考えました。
そういった意味ではその日その場でできるベストを尽くして残せた1枚だと思っています。
合成を使うことで子供の目線に近づける作風へ
私は、天の川の作品を機に、子供たちとの日々の生活で感じた心の成長や感情の変化、親目線からのエールなどを写真を使って残してみたいと考える様になりました。
こういったことを感じた時にありのまま撮るだけでも撮り手としては十分満足なのですが、より子供のイメージや想像の世界に寄り添うことで、撮る時間も見る時間もお互いがもっと楽しめていけたらいいなと思いました。
幼かった子供たちは成長とともに、次第に屈託のない表情をカメラに見せなくなっていきます。撮影を嫌がることもしばしばあったりします。
そして楽しく遊ぶだけでは満足しなくなり、彼らなりの意思、疑問や欲求なども芽生えてきます。そういった内面の成長を感じたことも表現してみたくなってきました。
こうして作ってきた作品たち
例えば、成長とともに頑張っていても思い通りにならずに悩み、周りとの結果の差に落ち込むことも当たり前に起こる年頃になっていきます。
ピアノを弾いても弾いても、上手な子になかなか追いつかない。それでもその頑張りはゆっくりでも確実に一歩一歩上達に近づいている。ピアノの神様はちゃんと見ているんです。そんな気持ちを伝えたいと思い、この作品をつくりました。
この一枚は、家族で出掛けたひまわり畑で撮影しました。大人が綺麗だなと感じる広大な風景も、子供にとってはもっともっと目線の低い部分で別の美しさに気づいていたりするものだったりします。そんな子供らしい感受性のまま大切に拾い集めたはなびらを、作品の演出に使いたいと思いました。
子供が一生懸命に作った物というのは、親にとって子供と同じくらい愛おしく感じます。作っていくうちにまるでお友達のように接しているイルミネーションのはりがね人形に、つい命を吹き込んでみたくなります。
子供が情熱を持って夢中になっていることにもスポットを当ててみたいとも思いました。1人で頑張ることを続けることに対して初めて感じた難しさ、チームメイトには会えなくても心は繋いでいて欲しい、そういった私からの応援を合成写真で気持ちをこめて表現します。
これからの表現の選択肢として
合成は自分の気持ちを忠実に表現をするために必要なプロセス
現像ソフトやアプリなど、近年写真を加工する手段はどんどん便利になり、撮影した写真をより持っているイメージに近づけやすく、ひとりひとりの個性を表現しやすくなる一方で、個性のぶつかり合いや摩擦など、良くも悪くも時には発表の場が刺激的になることもあります。
こういった理由から。今回合成をテーマとした記事を残すことは自分にとってかなり勇気のいることでした。しかし、これら作品を自分の表現したい気持ちに忠実に形にしていくために、合成は必要なプロセスであったこと、そうしてできた作品が私なりの着地点でありたいし、何よりそこにエネルギーを精一杯注でいることが最高に楽しいということを正直にお伝えできればと考えました。
もちろん、合成については様々な考え方があります。それは各々表現者が自身の表現にこだわりを持つ以上はあって当然であり、今後も様々な表現をめぐってのバトルがあることで、写真上の表現、写真を使っての表現はこれからも発展を続けていくのではないかと思います。
これからも子供たちと作品作りを楽しんでいきたい
自分が合成写真を作る際は、100%子供たちからインスピレーションを受けています。まず最初にイメージが出来上がり、それから素材を撮影していきます。
大人にはない発想や感じ方、そして子供らしい思いや感情の噴き出しはその場その時にしか生まれません。そして一番身近で見て感じていることで、何かの形で残していけたらなと思っています。親としての思いもちょびっと乗せて。
合成写真はそういった表現を無限に、精一杯楽しむための可能性を秘めていると感じています。目に見えない「思い」を投影していく表現方法の1つとして合成を選んだ私なりの理由です。
まとめ
まとめポイント
- 限られた環境で残したいもの全てを合成で残すことができる
- 自分の気持を表現するために合成は必要なプロセス
- 合成は作品のために必要なプロセスであり、最高に楽しい