別所隆弘 | MY PERSPECTIVE

別所隆弘

別所隆弘

フォトグラファー / 文学研究者。National Geographic社主催の世界最大級のフォトコンテストであるNature Photographer of the Year “Aerials” 2位など、国内外の写真賞多数受賞。写真と文学という2つの領域を横断しつつ、2020年以後の「リモート時代の写真」のあり方を模索する。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。

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7つのキーワード

被写体

当時の写真

主な被写体は風景です。初めて本格的なカメラを買ったのは2012年の春にD800を購入した時で、あまりに高価なカメラを買った興奮で、買った帰りにそのまま近くの山の展望に登ったんです。で、そこから自分の住んでいる街を撮影しました。夜景だったのですが、ビデオ三脚に乗せて。風の強い日だったので、写真はグラグラ。今お見せできるような代物ではなく、本当にひどい写真なんですが、それでもその写真に高密度に写り込んでいる自分の生きてきた街の風景に感動したんですよね。その一枚の中に、僕が通っていた小学校、中学校、高校のすべてが写り込んでいた。いわば、僕の「半生」が、一枚の風景の中に潜んでいるんです。それどころか、高画素機だったので、自分の住んでいるマンションさえ、等倍拡大したときに見えました。「こりゃすげえ!!」と感動したのを覚えています。

そのときに思ったのは、風景写真には「レイヤー」が多層に折り重なっているんだなと。自分の目では見えていなかった風景が、一枚の写真の中に潜んでいることに気が付きました。そして、自分でさえ知らなかった故郷の姿を、一枚の写真で切り取ることができる。その魅力にとりつかれて、写真を始めたんだと思っています。

機材

風景写真ではソニーのα7R4を使ってます。上で書いたように、僕にとっては風景はレイヤー構造をなしているので、高画素であればあるほど、緻密に世界を捉えることができるんです。なので、今の所風景を撮るにはこれ一択かなと。

一方、人物写真を取るときはα9を使うことが多いです。人の持っている多面性は、風景のもっている構造的なレイヤーとは違っている気がしていて、むしろそれは内側に折りたたまれた内面的なものである気がしています。なので、高画素で切り取るよりは、むしろ一瞬の機動性が必要だし、またその一瞬を正確に撃ち抜けるメカ的な強さがほしい。というわけで、人物のときにはα9を使います。

あとは最近スナップではLeicaのQを使ってますねー。最近持ち出すのはこれだけのことも多いです。使ってる感覚を楽しめるカメラとして、Qは最高です。

レンズは超広角と超望遠でしょうか。逆に言うと、いわゆる「標準レンズ」は省いちゃうときが多いです。他分野から写真業界に入ってきたので、王道的で技術的にすぐれた写真を撮ることは僕にはできません。だから、例えば超望遠花火のように、これまで人があまり考えてこなかった距離から写真を撮ることで、自分の独自性を写真の中で出したいと考えます。

理由

世界は、見る人の数だけ存在していると思っています。それは、哲学科に在籍していた大学時代からずっと引っ張ってきている僕の個人的な世界に対する認知の基本なんですが、写真を始めるまで、そのことをうまく伝達する術を持ちませんでした。でも写真をやり始めた時、同じ場所で撮っているのに、みんな全然違うように世界を見ていることが、あまりにも簡単に実現されていました。びっくりしました。また、全く同じ構図で撮っていてさえ、使っている機材だったり、あるいはその後の現像だったりで、最終的に出てくる「画」が全然違う。それに感動したんですよね。「ああ、写真の世界ってすごい」って。それは冒頭で書いた「世界をレイヤーとして見る」ということにもつながっているんです。この世界は、誰の目から見ても違っているという希望を感じられる限りは、僕は多分写真を撮り続けるだろうなあという気がしてます。

理想

今はまだ「理想の写真家」というのが見えてないというのが正直なところです。というより、最近、自分は写真家ではないのかもしれないなあという気がしています。むしろずっと、本を読んで、そのことを研究していた時代から、あるいはもっともっと小さい子どもの頃から持ち合わせていた、「この世界のことをもっと知りたい」という、すごく個人的な望みを実現するための最適な過程、最高のツールが、写真だったんじゃないか、そんな気がしています。

一つ大事にしていることとすれば「ことば」でしょうか。僕は結局言葉の人間であるような気がしています。でも、言葉や文章、文学を研究していたときには、むしろ自分の言葉が出てこなくなるような状況にはまり込んでしまいました。多分それは、自らのやっていることを外側から眺めるような「別の視点」を僕が持ち得ていなかったからのように思います。

でも写真をやり始めた時、言葉とは違うアプローチで世界を認識する「視点」を得たように感じました。なので、最初、特に2012年から5年間ほどは、できる限り写真と言葉を切り離すように意識してやってきたように思います。

でも徐々に、それは自分にとって最も大事な、いわば「出自」を隠すような行為であるような気がしてきました。2018年ころからnoteや他の媒体で文章を書き始めたり、あるいは最近はvoicyやstand.fm、直近ではyoutubeなどをやり始めたのも、自分はやはり「ことば」を使う人間でありたいと思い直したからです。そして、写真というメディアでやってきたことと、言葉というメディアでやってきたことを、どこかの時点で合流させたい、そんなふうに思うようになってきました。

そういう発想に至ったのは、写真で出会った仲間たち、友人たちからの刺激が大きいです。例えばこのヒーコの代表である黒田明臣さんもそうだし、同い年ながら、ずっとずっと先を見据えて写真を撮り続けている濱田英明さんの影響は個人的に大きいです。写真の作風というよりは、写真というメディアや表現方法に対する目線に影響を受けていますね。

発信

おそらく、僕はSNSがなければプロの写真家になっていなかったと思います。明らかに、僕が写真家として成立しているのはSNSがあったからです。飛行機のツイートがどかんと当たって、500人のフォロワーが48時間で1万人を超えて、みたいな展開って、どう考えてもSNSの拡散力のおかげなんですよね。

でも、写真を撮ることと撮った写真を発信することは僕の中で相反しています。というのは、現状僕は、撮っている写真の大半をSNSに投稿していないからです。僕の写真のデータの大半は、風景ではなくて街角スナップみたいなものなのですが、そういうものは出さずに、あくまで自分用のアーカイブ、記録として残しています。それは、僕にとっては写真とは、「世界をより多層に知ること」のツールだからです。よって、人に見せる必要のない写真も多いんですね。

なので、SNSはむしろ、表の世界に出している僕のごく一部分だということなんです。一方、これから、つまりは「コロナ以後の世界」においては、そういうスタイルを少し変えていこうかなと思っています。というのは、このコロナの騒動が終わった時、おそらく世界はそこで一度「切断」されるからです。第二次世界大戦がそうであったように、あるいは9.11や3.11がそうであったように、「それ以前」と「それ以後」では、もうロールバック不可能な世界線の断絶が、コロナによって引き起こされます。このことはもう確実だと思っています。つまり僕たちが今撮っている写真は、コロナ以後はおそらくは「遺構」になるはずなんです。旧世界の。そして新しい世界に無事生き延びてたどり着くことができたとき、僕らの獲得する「目」は、「旧世界」で撮られた写真に、今見ているのとは別の意義や意味を見出すことになるでしょう。その「コロナ後の世界」において、今撮っている写真を少しずつ出していくような意味があるんじゃないかなと、ちょっと思い始めているところです。

仕事

写真とは一見関係なさそうな仕事だったり、相性が悪そうな仕事をしてみたいなあと思っています。そんなことを思うのは、去年、面白い仕事をしたからなんです。それは「城」を撮る仕事でした。ただ、「城」といっても天守閣はもう存在していないものばかりなんですよね。つまり「城」を撮るという仕事は、「城の不在」を撮るという、ものすごく哲学的なアポリア(難問)に直面するようなものだったんですね。現場に行くと、ただの「地面」でしかない場所なんですよ。びっくりするほど何もない。でもそれはかつて「城」があった場所なんです。あれほど現地でうなった撮影って他になかったですね。そういう仕事がしてみたい。「どうすんねんこれ……」みたいな、呆然とするような(笑)

未来

コラボワークはしてみたいなと思ってます。同じことを続けるのが苦手なタイプなので、常に何か違う要素を入れていきたいんです。上の「城撮影」もそういう撮影になったんですが、例えば人物写真家だったり、テーブルフォトの人たちのような、普段は交わらない人とコラボするような仕事があれば楽しそうだなあと。

最後、もう一つ、「コロナの後」のことを。「発信」の時に、「コロナの騒動が終わった時、おそらく世界はそこで一度切断される」と書きました。具体的には、コロナの「後」の世界は、これまで人類がやってきたことを変革せざるを得ないと思っています。それは人間を始めとした「リソースの集中化」です。その究極の姿が、「大都市」なんですよね。19世紀ころから加速度的に進んできたリソースの集中化は、今回のコロナを見ても驚くほどに脆弱な部分を持っていることが露呈してしまった。

なのでコロナ以後は逆の方向に徐々に人類は進んでいくと思います。密だったものを疎にし、近かったものに距離を置くこと。つまり「リモート」ですね。そして写真というメディアは、実はリモートとは結構食い合わせが悪いです。だって、目の前に見えている「真を写すもの」だから。でも、写真というメディアは一方で、デジタル化以後、極めてリモートの状況と親和性が高い。

この相反する2つの性質の間でできることがあるように思っています。そして写真というメディアは「コロナの後」、その根源の性質を変えていくと思っていますが、その行く先を見てみたい。

コロナの後の世界をめがけて、そこで写真が果たす役割を見出したいというのが、多分最近思うようになった「今後の抱負」ですね。これは一生モノの課題になりそうですが。

あ、その前に生き抜かなきゃですね。みんなstay home、がんばりましょう。

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